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さだまらない

日々忙しくしていると、自分の感情や好きな物事がだんだんと輪郭をなくし、ぼやけていってしまうような感覚がある。それは私をとても不安にさせる。足元がぐらついて、芯がなくなっていくような怖さがある。

私がほんとうに好きなことって何だったんだろう。興味のあることって何だったんだっけ?

それを確認するため、というか、ちゃんとhomeに戻ってくるための道標のようなものが自分にとっては読書であって、決して娯楽ばかりではないな、と思う。

SNSも人の意見も全て無い環境の中で向き合い、感じた思いや考えたことが、ほんとうの自分の声なのかと信じてみたり。それもまたバイアスがかかっているのだろうけれど、少なくとも安心できることは確かなのだ。   こればかりになると、とても危険なんだけどね。

それよりも、忙しい程度で揺らぐ自分の「好き」も不安になる。

私の原動力は、楽しい、知りたいは勿論あるのだけど、それよりも不安と強迫観念が大きい。

ギリギリの精神状態でいる時は強迫観念、特に「劣っていると思われ、人から必要とされなくなる恐怖」が一番自分の背中を強く押し、何とかこちら側に踏みとどまらせてくれる。強迫観念も悪いことばかりじゃないじゃんと思いたいけど流石に不健全がすぎる。

解放されたいな、もっと明るく、楽しく、元気よくやれたらいいな、なんて夢物語的なことを考えてしまうのだけど、それは自由になりたいと思っているうちは自由になれないのと似ていて、そう思っているうちは結局その考えに縛られてしまっているのだ、と思う。

ほんとうに楽しくやれている時はそんなことは頭にないはずなのだから。

そういう瞬間も、まだ少ないけれど、確かにあるのだから。

そこまでわかっていても簡単には変えられないのが人間の嫌なところで、少しずつそういった呪い的なものを解いていかないとなあと思いつつ、まあ、今までうまいこと折り合いつけてやれてきてるじゃん?っていう楽観的な考えも少しある。

理想的な大人には程遠く、全く手が届かないなと思いながら。

それでも目の前のことにしがみついていられるのは、それがほんとうに好きなことだからなのだ、と認めたい。それが揺らがない、ほんとうの「好き」なのだと。

一点の曇りもなく言い切れない煮え切らなさもまた。