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私の今日という1日、一度しかない1日。

休みの日の始まりは、Google Mapを開くところから。

散歩が好きな私は、今日はどこへ行って何をしようかと、空から地上を眺めて空想しながら、今日のスケジュールを決める。

出かける場所はすぐに見つかることもあれば、見つからない時もある。

たくさん行きたい場所にピンを立てているのに、なんとなく気分に左右されて、今日はなかなか決まらなかった。


何分かカーソルを動かしてあーでもない、こーでもないと心の中で独り言を言っていると、都内から少し離れているところにマークが付いているのに気がついた。

ピンをタップしてみると、「武相荘」という場所だった。

そこは京都にいる時から訪れたいと思っていた場所で、自然を感じたい気分だった私は、さっそくスニーカーを履いて、どんな風景を見られるのかワクワクしながら外へ飛び出した。


家から今日の目的地まで約1時間ちょっと、暖かな日差しを浴びながら電車に揺られてガタンゴトン。駅から少し離れた、大通りを横に少し入ったところに、そこはあった。

まず建物が目に入った瞬間、何だか心が落ち着くのがわかった。

田舎の家に帰ってきたような、どこか懐かしい空気を帯びた場所だった。

さっそく1枚写真を撮って、門をくぐって中へ入ると、緑豊かな庭があり、右手にカフェ、その先に白洲次郎、正子夫妻の住まいで現在は博物館として開館されている武相荘があった。

博物館の展示は時期によって変わるそうで、今日は春の展示とのこと。

中には日常で使われていた陶器や、家具などの品々が並べられていて、当時も流れていたであろう心地よい時間を過ごした。また、春の展示ということで、雛人形が飾られていた。

ギャラリー内で正子さんに関する本が売られていたので購入し、併設のカフェのテラス席で、ハーブティーを片手に読書を愉しんだ。


と、ここで、私が入店する前からいらっしゃって、隣のテーブルだった老夫婦の話を。

旦那さんはいかにも亭主関白な口調で、白洲夫妻や武相荘について奥さんに話していた。

一方的な会話になるのかなと思っていたが、その後よくよく会話を聞いていると、少し命令口調な旦那さんが会話の端々に冗談を言っていて、その時々のよきタイミングで、敬語をベースに奥さんがツッコみを入れていて、楽しそうだった。

そして、腕を組んで帰っていかれる2人を見て、お互い思いやって歩んでいく人生って素敵だなと思った。


さて、私もカフェをあとにし、帰り際に園内の散歩道を歩いていたら、庭師の方が1人庭の手入れをされていた。

黙々と手を動かして作業されている背中からは、自然と対話しながら、今この時と正面から向き合って丁寧に生きておられることが感じられた。


夕陽の光で満たされた帰りの電車では、うたた寝をしてしまった。気持ちのよい眠りだった。


武相荘を訪れて、何気ない日常で使う道具や生活空間も、自分の心が踊ってトキメクもので整えていきたいと感じた。

また、伝統や日本の文化について学びたいという気持ちがより一層強まり、今後の自分の人生に大きく影響を与えてくれる予感がしている。

日々の生活を大切にすることで、自分自身を見つめることにもつながり、人にも、今自分が生きている世界や過去全てにも、感謝を持って接することができるようになるのではと思う。

今日という1日は、一度きりで二度とやってこない。

生きている時間には限りがあって、いつまでというのは誰にもわからない。

そう思うと日々がより愛おしくて、全力で楽しんで生きていきたいと思う。

今日この場所に行こうと決めて行動した過去の自分に感謝、ありがとう。

おかげで楽しい休日を過ごすことができました。


祖父母の家からもらってきた急須を食器棚の奥から取り出して、期限が切れてしまっている茶葉で入れた緑茶を飲みながら、この振り返りの記事を書いている。

丁寧な暮らしというものを、これから自分の生活で体現していきたいものだ。

数年後には期限内の茶葉で、美味しくお茶を入れられるようになっていればいいな。

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