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-昨シーズンへの懐古と現実-(プレミアリーグ23-24シーズン第3節アーセナル対フラム)



「なぜ昨シーズンから変えるのか」という至極当然の疑問

「今まで出来ていたことができていない」ことに多くの人間は苛立ちを感じる。「できていない」理由が明らかであるように思える時、その苛立ちはさらに強くなる。

今節(もしかすると今シーズン)のグーナーたちが感じたものは、この種の苛立ちであった。昨シーズンできていたはずのサッカーができない。昨シーズン、アーセナルは開始早々に失点したときでも力強くカムバックしていたはずだった。昨シーズン、アーセナルは自陣にドン引きして、「バスを止めてくる」相手を見事に崩していたはずだった。昨シーズン、アーセナルは相手を崩すために自分が何をすべきか、選手一人一人が理解しているはずだった。

なのにこの様はなんだ、昨シーズン出来ていたことができない。
ビルドアップのパスは各駅停車でスピード感に欠ける。攻撃の起点であるはずの両ウイングにボールが入っても選手たちは何をすればいいのかわからないように見える。結果、開始早々ミスから一点を取って悠々と自陣でブロックを組むフラムを攻略できず、あまつさえカウンターからピンチに陥る。
見ている側からするとなぜこんな状況になっているのか理解できない。

いや、こんな状況になっている理由自体は明白なような気がする。アルテタが昨シーズンからメンバーを変えているからだ。なぜかアルテタは今シーズン、1億ポンドで連れてきたライスをIHで使わず、アンカーで起用している。なぜか昨シーズン右サイドバックで使っていたホワイトをCBで起用し、なぜかパーティを右サイドバックで使う。そのせいで昨シーズンの守備の要マガリャンイスはずっとベンチに座っていてもお構いなしだ。そしてなぜかアルテタは昨シーズンからいるスミスロウやヴィエイラではなく、あまり機能しているようには見えないハヴァーツに固執しているように見える。

問題は、なぜアルテタがシステムをいじるのか、昨シーズン上手くいっていたはずのやり方から、うまくいっていないやり方へ変えようとするのかが理解できないのだ。ジンチェンコと今季加入のティンバー、さらには富安までもが万全の状態で出場できない左サイドバックは仕方がない。しかしその他のポジションは違う。わざわざパーティを右サイドバックで使って中に絞らせる必要なんてない。ライスをIH、パーティをアンカー、ホワイトを右サイドバック、マガリャンイスをCB。これですべて解決である。なぜ素人でもわかるようなことにアルテタは気付かないのだろう。

今回のフラム戦はある意味で、この疑問に対する答えを提供するもののような気がする。なぜなら確かにアルテタは後半から-正確には後半56分から-昨シーズンのやり方に戻したからだ。その結果、我々のチームは一度逆転し、そして追いつかれた。

前半 昨シーズンの懐古-ジャカが欲しい-

この試合の前半戦はなかなか酷いものだったような気がする。開始早々サカのミスから失点したときは天を仰ぎながらも、一方でこう思っていた。問題はない。まだ慌てるような時間でもないし、我々のチームは力強くカムバックして、いつものように相手のブロックを打ち破るだろうと。

ところが、この後の内容が酷かった。サカにボールが入っても選択肢がウーデゴールしかなく、一向に打開できなさそうな右サイドもなかなかだったが、これに輪をかけて上手くいっていないのは左サイドだった。マルティネッリやトロサールが大外でボールを持っても、インナーラップをかける選手がどこにもいない。ハヴァーツは足元でばかり受けようとして裏にランしてくれないし、右からのクロスに走りこめない。攻撃はサイドチェンジからクロスを放り込むという大味なものが多くなった。当然、平均身長がお世辞にも高いとは言えない攻撃陣が引いた相手にクロス爆撃をしても大した脅威にはならない(それでもサカの惜しいのがあったりはしたが)。

「ジャカがいたらな」。これが前半を見た私の感想である。ツイッター(最近はXと呼ぶらしい)を見た時も同じような感想を持つ人がちらほら居たので、そこまで独創的な考えでもないだろう。きっとジャカがいたら昨シーズンのように大外の選手がボールを持った時、ハーフスペースを縦にランニングして、SBの裏を取ってくれたのだろう。そうでなくてもスペースを作ることで、大外からCFに楔を打ち込むためのスペースを空けてくれたに違いない。もちろんジャカだったら、ハヴァーツが足を出せなかった右サイドからのクロスに対して、力強くゴール前に飛び込んで、併せていたのだ。

今いないジャカへの妄想に耽ることは、あの素晴らしい昨シーズンへの妄想に耽ることと同義である。昨シーズンならこうはなっていなかった。アンカーのところで渋滞するようなことはなかったし、ウーデゴールはもっと自由に下がってボールを受け、リズムを作っていた。サカがボールを持った時は右サイドバックが上がることで複数の選択肢が生まれていたはずだった。

そうした妄想の果てに、疑問は再び帰ってくるのである。どうしてアルテタは上手くいっていたはずの昨シーズンのやり方を捨ててしまったのだろう。彼は我々素人でもわかるようなことがわからないのだろうか。

後半 昨シーズンの現実-ジンチェンコという諸刃の剣-

もちろん答えは「ノー」である。彼は後半から昨シーズンのやり方にチームを戻した。FWにヌケティア、IHにヴィエイラ、左SBにジンチェンコ、右SBにホワイト。後半56分から87分まで、我々はあの素晴らしい昨シーズンに戻ることができた。右サイドでサカがボールを持つと勢いよくホワイトが駆け上がってきて2対2の状況を作る。ヌケティアは中央での起点になっていたし、カウンターの時にはそのスピードでパッシーを退場に追い込んだ。ジンチェンコは神出鬼没で、中央から左サイドにかけてパスの受け手にも出し手にもなれる。久しぶりにボールを持っている時の彼のプレーを見ていると、富安がレギュラー争いで彼に勝てるのだろうかと思わされた。

そしてヴィエイラのプレーは、まさに我々が求めていたものだったように思える。一点目のPK奪取のシーンはマルティネッリが大外でボールを持った瞬間に彼は猛然と縦にランニング、ハーフスペースでボールを受けるとそのまま切り込もうとしたところたまらずテテがスライディングでヴィエイラの足を引っかけPKとなった。2点目でも彼はハーフスペースでボールを受けるとそのままアーリークロス、ピンポイントでヌケティアに合わせて2点目。このころには「ジャカがいれば」などという妄想は完全に消え失せ、昨シーズンの輝きを取り戻したチームを見て「それ見たことか。なぜ早くアルテタはこうしなかったのだ」と思ったものである。

しかしこの後我々はこのチームの問題点を思い出すことになる。ジンチェンコは諸刃の剣となりうるのだ。前述のとおりボールを持っている際、彼は神出鬼没で、文字通りチームの心臓になる。しかし、彼はプレミアの屈強なウイングと伍していくにはフィジカル能力が足りないし、何よりもともと10番の選手なのもあって、基本的な守備能力がそこまで高くない。フラムが10人になった後の87分、ジンチェンコが縦パスをアダマ・トラオレ(一体いつから彼はフラムの選手になったんだ?)にカットされると、スライディングするもファールすることさえかなわずバイタル付近まで運ばれる。そこで得たコーナーキック、ボールはニアへ。おそらく守備時にゾーンを設定しているアーセナルで、ニアのボールをカットすべきはジンチェンコだったはずだ。しかし彼はヒメネスに潰されてしまい、ボールは中のパリーニャの下へ。これを見事にコースへ沈められ、同点となってしまった。

アーセナルも反撃に出るが、ウーデゴールが下がった後のアーセナルに10人が自陣に戻り切ってブロックを組むフラムを崩す余力は存在してなかったように見える。前半のようなクロス爆撃はフラムのディフェンス陣にことごとく跳ね返され、ミドルシュートはレノに防がれた。アーセナルはホームで一人少ないフラムと引き分け。痛い取りこぼしと言えるだろう。

昨シーズンへの懐古と現実

さて、我々は現実を冷静に、客観的に分析する必要がある。昨シーズン、確かにアーセナルはここ数シーズンでベストのパフォーマンスであった。前半戦、我々のチームはわずか一敗を喫したのみで首位をキープした。最終的には勝ち点84を得た。これはインビンシブル以降のアーセナルで最高の数字である。これらはすべて「事実」である。

しかし一方で、昨シーズンのアーセナルは4月に全く勝てなかった。富安とサリバが離脱した後失点が止まらなくなった。ジンチェンコは攻撃は素晴らしいが、左サイドの守備を一人でできるほど強くなかった。最終的にCLのなかったアーセナルは勝ち点8のリードを逆転され、CLでも優勝したマンチェスターシティに勝ち点5差をつけられ2位でフィニッシュした。これらもすべて「事実」である。付け加えるとすると―これは「事実」ではないかもしれないが―後半戦シティとのパフォーマンスの差は歴然であったように思える。

そして、これらの「事実」は良しにつけ悪しきにつけ、フラム戦の後半にも表れていたように思える。後半に入って、アーセナルの選手たちは個々人が何をすれば良いのか確信しているようであった。ジンチェンコ、マルティネッリ、ヴィエイラのトライアングルは見事に2点を演出したし、エディは常に相手のディフェンスラインと駆け引きをしていた。ホワイトはオーバーラップによってサカの負担を軽減していた。一方で、ジンチェンコの守備能力の低さは今に始まったことではないし、ワンチャンスであっさり失点してしまう場面は、今年の4月にそれこそ何度も見た光景な気がする。

CLにも出場する今シーズン、昨シーズンと同じことをしてもシティに勝てない。これが「なぜ昨シーズンから変えるのか」という冒頭の問いに対するアルテタの答えなのではないか。新しいメンバーが作る、昨シーズンよりスケールアップしたサッカーを目指さなくてはならない。そのために今は我慢しなくてはならないし、多少前半戦で勝ち点を落とすこともやむを得ない(それこそ昨シーズンのシティのように)。これがアルテタが出した昨シーズンの回答と今シーズンの方針なのではないだろうか

「立ち返る場所」としての昨シーズン

前半を見る限り(またはコミュニティ・シールド以降の試合を見るに)、今のところアルテタが目指す「昨シーズンよりスケールアップしたサッカー」がどのような形なのかがわからない。恐らくはより強度の高い守備を目指しているのであろうが、どのように敵のブロックを崩すのか、どのように点を取りたいのかが外から見ていると良く分からないというのが正直なところである。

恐らく、今後も苦戦は続くであろう。もしかしたらアルテタが今シーズン目指すサッカーは完成しないかもしれない。その時、「立ち返る場所」として昨シーズンのサッカーが重要な意味をもつ。我々には上手くいったことのあるサッカーがある。いざとなればそれに戻ればよい。散々言ったが、今節だって「立ち返る場所」に戻った後、フラムには失点したワンチャンス以外、ほとんど何もさせなかった。上手くいかなくて目の前の試合を落としそうになってから「立ち返る場所」に戻ったとしたって、充分上手くいくのだ。

しかしその場所を「定住する場所」にしてはならない。その場所はあれほど有利な条件がそろった昨シーズンーベンゲルが前半戦が終わった後、「このチャンスを逃してはならない」と言ったことを思い出してほしいーに優勝を逃した場所でもあるのだ。我々が昨シーズンの美しい思い出から抜け出し、再び優勝争いの景色を見るためにも、安易に「昨シーズンの形に戻せ」というよりも、ある程度はアルテタの挑戦を見守るべきなのだろう。

もちろん、結果が出なければアルテタは批判されるべきだし、場合によってはフロントが進退を考える事態にもなりうる。しかしその結果はもう少し長いスパン(少なくとも冬まで、もしくはシーズンの終了まで)で考えられるべきだ。アルテタが直面しているフェーズは、我々がここ10年のあいだ超えられなかったもの、つまりCLと優勝争いの両立であることを忘れてはならない。

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