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大声で「好き」と叫べば必ず届くと信じて〜映画「さかなのこ」を子どもたちに

お気に入りのテレビ番組に「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」があります。

「はかせちゃーん」と呼ばれて登場するのは、子どもたち。
特定の分野に関して、半端ない好きと燃えたぎる情熱とエンサイクロペディア並みの知識を持った子どもたち。

好きと情熱を捧げる対象は、信号機、地図、昭和歌謡、昭和家電、80年代アイドル、古代エジプト、国道、味噌、野菜、魚などかなりマニアックなものもあって、ただ好きだけじゃないその知識の豊富さに感心しっぱなしです。


沖田修一監督の「さかなのこ」は、まさしくそんな博士ちゃんの映画です。


「さかなのこ」のモデルは、ご存知さかなクン。
で、主演はのんさん。


あれ、のんさんは女性なのに、さかなクンの役?

映画はこんなテロップからはじまります。

<男とか女とか、どっちでもいい。>

さかなクンを女性が演じたっていい。
美術と体育以外成績悪くたっていい。
ひとつのことだけに夢中になったっていい。

好きを貫くとか、なにかに夢中な人を無条件で受け入れるとか、この映画で描かれている一途さや寛容さはとてもステキです。

のんさん演じるミー坊の魅力や、ミー坊を取り巻く周りの人たちの温かさもあって、2時間という時間はとても心地よかった。
見終わったあとも、しばらくはにやにやが止まりませんでした。


でも、あまりにもステキな映画だったからか、好きの持続と受け入れる寛容のむずかしさを逆に深く感じてしまったのも事実です。


なにかを好きになることは誰だってできます。簡単です。
自分も、これまで好きになったものやことをあげろといわれたらいくつだってあげられます。
でも、そのなかで好きをずっと続けているものは?と改めて問われると、いや、ないぞ、となってしまいます。

すぐに飽きたり、目移りしたり、誰かに変と言われて遠ざかったりで、いつのまにか「好き」という情熱は引き出しの奥の輪ゴムのように干からびてしまっています。

好きをずっと続けることはひとつの才能なんですね。
と同時に、ある種の無神経さ鈍感さに似たものも必要となるかもしれません。


「さかなのこ」でも、ミー坊の母親(井川遥)は、どんなときでも誰かに何を言われても子どもを信じ、支え続けていきます。

一方、父親(三宅弘城)は、ミー坊がまだ幼い頃は、ミー坊のさかな愛を受け入れていましたが、どうもそうではなくなっていきます。
映画の中で詳しく描かれてはいませんが、両親は離婚をしたようです。ミー坊への寛容が父と母では食い違いがあり、離婚に至ったようです。


それでもミー坊は、さかな愛を貫いていきます。
母親に支えられ、出会う人たちに受け入れられ、深くさかな愛を貫いていきます。


高校時代に出会った、総長にカミソリモミに狂犬、といったちょっと笑えるワルたち。
何年か経ってミー坊と再会する彼らは、いつまでたっても変わらないミー坊のさかな愛を見て「お前は変わらんないな」と笑います。

つまりはそれは、自分たちは変わっちまった、ということ。


多くはそうなんだ。ほとんどの人間は変わってしまうんだ。
あんなに好きだったことをどこかに置き忘れ、日々の生活に紛れ、なにかを好きだったことさえ忘れてしまう。

だから総長もカミソリモミも狂犬も、変わらないミー坊にホッとして温かく接したくなってしまう。

「おれたちはお前にはなれなかったぜ」と。


ミー坊役ののんさんが、まだのんではなく、能年玲奈だった頃の「あまちゃん」で、アキ(能年玲奈)がアイドルを目指して東京へと向かう時、母親(小泉今日子)に尋ねます。

「ねえママ、わたし変わった?」
「アキは変わってない、地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないぱっとしない娘だけど、皆に好かれたね!アキじゃなくて周りが変わったのよ!それは案外凄いことなのよ!」

「あまちゃん」のこの名セリフが、みごとによみがえって響いてきます。

ミー坊は変わってない。さかなばっかの毎日だけど、みんなに愛されたね。好きを続けて、バカにされたり笑われたりしたけど、みんな最後にはミー坊を好きになったね。

なんていうセリフを加えたくなってきます。



おそらく「さかなのこ」や「博士ちゃん」のように、ただひとりの狭い道を歩みかけた子どもたちはたくさんいたと思う。

でも、そんな子どもたちの中には、道の途中で、他の道を知っておいたほうがいいとか、もっとたくさんの人が当たり前に進む安全な道を選んだほうがいいとか言われて後戻りしたり、「そんな道を行くなんて変わってる。変人だ」の声に、進むのを止めてしまった何人かが、きっといることでしょう。

好きとか情熱はただひとりのものでしかないから、信じて進むのは本当に難しいし、迷う。
だからこそ、周囲の理解と後押しが欠かせない。

「さかなのこ」も「博士ちゃん」も、突き進んだ先で待ち受けているものが、必ずしも明るいとは限らないから、親は心配です。
ついつい約束された道へと導いてしまいます。

だからこそ、「好き」を大声で叫んでもいいんだよ、と教えてくれるこの映画は貴重です。
フィクションじゃなく、さかなクンというモデルがいるから。


実際にさかなクンが好きを貫いてきた時代に比べ、今の時代はもっともっと寛大で自由です。

「好き」を堂々と大声で叫んでもちゃんと届くべきところに届くし、
「わたしも」「ぼくも」と答えてくれる人と出会える時代です。

「好き」であることに迷い、ためらうひとりでも多くの子どもたちに見て欲しいなぁ、と、そんな映画です。

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