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本に愛される人になりたい(19)「中世の秋」と歴史を見る目線

 1919年、オランダで本書が発行されました。日本の元号では大正8年のことです。中世が終焉を迎えつつある時代、そして近代を迎えようとする時代を「中世の秋」としてとらえた歴史書で、私にとっては、凝り固まった中世観を払拭してくれた書籍でした。それに先立ち、学生の私は、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という書籍を読んでいて、人とは遊ぶことにより文化を育んだということを知り、その視点に驚いていました。そして、もう一冊、阿部謹也さんの「中世の窓から」では、これまで中世は暗黒の時代のように語られきましたが、すでに産業革命に匹敵するような大きな転換が始まっていて、貨幣経済も浸透し始めており、庶民の日常生活や世界観も変貌し始めていたのが中世だという論旨に、驚きました。
 そしてホイジンガの「中世の秋」です。
 本書は、中世についての考え方や見方の話だけでなく、歴史のとらえ方についても学べました。私たちがいま抱えている近代的な視座で中世を見ようとすると、どうしても偏見に満ちた価値観を持ち込んでしまい、あるがままの中世像が見えなくなるというものです。
 おかげさまで、過去の一時点を振り返り、見つめ直すときに、この考え方が役立っています。たとえば、1945年8月15日を考えるとき、その時点から現在までに形作られた価値観をなるべく除外して考えるというものです。つまり、後付けの価値観である時代の様相を見るとあう間違いをなるべく回避できます。
 その視点を、哲学者の鶴見俊輔さんは、期待と回想という言葉で表されているいます。歴史的なある時を立ってその歴史を読み解くのは「期待」。何十年も経過しその間の知見を抱えてその歴史を読み解くのは「回想」です。
 人は弱いもので、自分の記憶や歴史的な事実を、「回想」として見つめて語ります。つまり、その歴史的時点との事実とは異なる嘘をついているわけですね。1945年8月15日の時点で見えたことは、その後の戦争についての情報などないのに、まるで知っていたかのように語る人などがいると、私はがっかりします。中嶋雷太

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