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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(12):「漂着物と想像力」

 大風が吹くと大波が浜辺に押し寄せます。そして翌朝のこと。浜辺を散策していると大量の漂着物が打ち上げられています。
 海に揉まれ続けて表皮が剥がれツルツルになった太い木の枝や、葦のような細い木々に混じり、角が取れたガラス片や細かく砕かれた色鮮やかなマイクロプラスチックなども見られます。
 浜辺でコーヒーを楽しんでいると、浜辺のゴミ拾いイベントで集まった人や、学校の授業の一つとしてやってきた中学生や、ご近所のおじさんなどが、黙々と漂着したゴミを拾われているのをよく目にします。私もまたゴミ拾いイベントに参加したことがありますが、毎日浜辺を散歩しながら、目についたガラス片を拾い上げています。
 以前、あるSNSで私の自宅近くの浜辺が「汚い」と投稿されていたことがあり、「そうかなぁ」とうなずきつつも、釈然としない何かが心に残りました。
 人間とは残念ながら、自分の目の前のことしか興味がなく、何か問題があっても、それが何故、どのようにして発生しているのか、そして自分とどのように関係しているのかを考えることは稀ではないかと思っています。私もまた、長年世田谷区の住人でしたから、海辺の生活という実感などなく、ましてや自宅近くの浜辺が日々いろんな表情を見せることなど知るよしもありませんでした。
 川から流れてきたガラス製品やプラスチック製品は河口から海へと流され、やがて大量の海洋ゴミとなり海を漂います。「太平洋ゴミベルト」というのがあり、「オランダの非営利団体『オーシャン・クリーンアップ』によると、太平洋ゴミベルトの広さはフランスの国土の約3倍に匹敵し、蓄積したプラスチックの数は1兆8000億個、重さはおよそ8万トンと推定されている。」(日本経済新聞2023年8月21日)ということです。
 ワイキキなどの人工的に徹底管理された浜辺は美しい砂で覆われ、毎朝清掃され、大量の漂着物など見当たりません。それはそれ、せっかくバカンスで訪れたのですから、綺麗な砂浜を思いきりエンジョイすべきだと思います。ただ、元々砂浜とは、絶えず漂着物が打ち上げられるところだというのは、理解して欲しいものです。
 木々や石ころ、魚介類の死骸など、大きな自然のサイクルを、浜辺の漂着物が教えてくれるわけですが、ガラスやプラスチック製品などの人工的な海洋ゴミを手にとるたびに、人間という動物の生な本質が見えてきて、残念な思いが心に過ります。
 少しだけ想像力を働かせ、自分の目の前から想像力の羽を広げてみてはどうかと思いつつ、とはいえ、浜辺で深呼吸を楽しむ私です。中嶋雷太

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