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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(4):「『住み移り』なのだろう」のお話

 湘南・片瀬海岸に引越してひと月が経ちました。
 今回で、我が人生15回目の引越しとなり、我ながら苦笑しています。
 開けども開けども現れる本や資料の洪水に呆然としながらも、書斎の書棚に一冊ずつ納める作業を地道に続け、ようやく書斎らしくなってきたところです。こうして忘れ去っていた本や資料を手にとり、「そうだよなぁ」とか「ふむふむ、もう一度読んでみよう」などと感慨深げになっていると、時間だけが冷静に経過してゆきます。しかし、再読をしていたものの、やはり良い本は良い本で、最初に読んだときとは異なるとらえ方をしている自分に驚いたり、ようやく真意が理解できたりと、楽しむ時間でもありました。
 ほぼ毎日、徒歩数分の片瀬海岸で朝カフェ(といっても自宅で淹れたコーヒーをマグカップに入れて持ってゆくだけですが)をしつつ、打ち寄せる波や広い空を眺めていると、脳みそに詰めこんだ無数の言葉たちが溶解してゆき、柔らかな感性がのんびりと顔を出してきます。
 先日、書棚の隅で発見したのが、村上春樹さんの「使いみちのない風景」(中公文庫)で、パラパラとページを繰っていると、彼のある言葉が立ち上がってきました。
 彼はかなりの確率で定着型であり農耕型に属していると考えているにも関わらず「じゃあどうして定着型の人間が何年もに渡ってそんなにあちこちと移り歩いたりしているのか」について、「定着するべき場所を求めて放浪している」という結論に至ります。そして彼は「このような生活をとりあえず『住み移り』という風に定義しているわけだが、要するに早い話が引越し」だと綴っていました。
 この「住み移り」という彼の定義が、私の柔らかくなった感性にすっと染み渡りました。
 京都、大阪、東京、L.A.、東京、神奈川…計15回の引越し人生とは何だったのだろうと、浜辺の朝カフェで考えていた私にとり、この「住み移り」という言葉がピタリと当てはまったと思ったわけです。
 実は、引越しだけでなく、仕事とプライベートを合わせ、私は実はミリオン・マイラーだったのを思い出しました。写真は、数度のパリ出張を終えた翌年、ANAから届いた飛行100万マイル突破記念のタグです。実は、ANA系列以外のノース・ウェストやバージンエアやその他諸々の航空機にも搭乗しているので、150万マイル以上は空を飛んでいるはずなのですが。
 新型コロナ禍になる2019年までは欧米や東南アジア、そした日本国内、あちこち飛びまわる人生で、なかには数カ月ある土地に滞在したりもし、旅でもなく居住でもない感覚をいつも心に抱いていたわけです。
 「『住み移り』と『旅行』とは基本的には、どれくらい長くそこに滞在するかによって区別されることになると思う。…<省略>…「つまりある程度の期間その場所に腰を据えて生活をすれば、それはおそらく『住み移り』の場ということになるし、短い時間でそこを通り過ぎていくのであれば、それはおそらく旅行の場ということになる」と村上春樹さんは綴り、「生活をする」というのが「住み移り」ということになるという。
 では私の場合はどうなのかと考えてみると、住民票を移すだけではなく、やはり数週間だったり数カ月、長期宿泊用のコンドミニアムに滞在したり、時には移動ばかりの日々もまた、それ自体が「生活」と化していたことがあり、彼の定義を広義にとらえた「住み移り」人生ではあるまいかと結論づけてみました。
 私の場合、ある土地を通り過ぎるためであれば旅行なのでしょうが、よくよく考えれば、ある土地を通り過ぎることだけの旅行が意外と少なかったようです。
 湘南・片瀬海岸に引越してひと月が経ったものの、実は「生活をする」実感がまだ湧き出てきてはいません。旅行ではないことは確かですが、全感覚がまだしっくりときてはいません。さて、今回の「住み移り」はどのような心象風景をこれから描いていくのか楽しみでもあります。中嶋雷太

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