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本に愛される人になりたい(18)「雑兵たちの戦場」

 学生時代の修士論文の題名は「復員者の精神」でした。ジャーナリズム(新聞学)を専攻しており、敗戦直後に戦前の軍国主義から民主主義国家へと180度変化を求められた数年間の人のありようとはどうだったか、そして新聞報道はそれをどのように日々とらえ、自らも変貌していったのかを知りたくて、その戦後の精神史の原点になるだろう復員者の姿を、図書館の閉架書庫で、毎日毎日、残された新聞記事を一つ一度追っていました。
 第二次世界大戦が終わった1945年8月15日。何百万もの兵隊は、突然兵隊ではなく、かと言って戦後を生きる為の何者かにもなれず、「復員兵」という役割を負わされました。当時の新聞を読むとあちらこちらに「復員兵」についての記述があり、日を追うごとに「復員兵」についての語り口が変化していくのにも驚きました。特に、マッカーサーが厚木基地に到着し、GHQの占領政策が広がっていくと「復員兵」への語り口はとても厳しいものになっていきました。戦後の陸軍大臣だった下村定の発言も徐々に変化を遂げていきました。因みに、陸軍省・海軍省は、第一復員省・第二復員省となり、やがて厚生省に吸収されます。
 戦後の歴史本や映画などでは、復員兵がすぐに戦後を生き始めたかのように語られますが、1945年8月15日から数年間(場合により、その精神は戦後ずっと)、この宙ぶらりんな「復員兵」というある種の曖昧な社会的役割があり、その実態がなかなか語られることのないまま戦後75年を超えてしまいました。
 この修士論文を書き終え、社会人になっても、私のテーマの一つは名も知られぬその兵隊たちとは何だったのか?で、東欧での侵略戦争が始まったこの春からは、ロシア側とウクライナ側、双方の、名もなき兵隊たちはどのように考え、どのような傷を背負っているのだろうかと考えています。
 1995年秋に本書が発行されるや、私は早速購入し、中世の雑兵模様を学ばせてもらいました。
 著者の藤木久志さんは、「凶作と飢餓の続く日本中世の死の戦争は、『食うための戦争』という性格を秘めていた」と語られます。戦国時代の小説を楽しんで読む視点とは異なる雑兵の視点は、目から鱗でした。
 食うための戦争へと身を挺し、場合により、人身売買の対象でもあったようです。しかも海外への人身売買、つまり日本史には奴隷貿易がありました。豊臣秀吉も人身売買禁止令を出し、徳川幕府となり秀忠が征夷大将軍になってもまだ人身売買停止令を出すという、闇の歴史を私たちの日本史は抱えています。けれど、誰も見向きもしないのが現代の日本史です。
 何万人単位で兵士の死が報道され、「ああ、そうなんだ」とその数字の塊だけを認識する日々が続いていますが、その一つ一つの死に思いを馳せる視点を持っていたいと思います。中嶋雷太

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