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悲しきガストロノームの夢想(44)「外で愉しむコーヒーたち」

 母がサラリーウーマンだったこともあり、小学生時代の朝食はトーストにネスカフェの粉コーヒーでした。現代の過保護子育てから考えると、子供のことなどお構いなしの酷い母親だと罵る人が大勢だと思いますが、それはそれで楽しい朝食シーンでした。過保護の真逆をゆく、大人扱いをしてくれた母に感謝しています。会話も子供扱いではなく、映画の話から家庭の経済環境のことまで、幅広かったはずです。
 外で愉しむコーヒーを最初に覚えたのは中学校に入ってからで、太秦の帷子ノ辻駅前にあるスマート珈琲店でした。休みの日になると、両親に連れられ芳醇な大人のコーヒーを愉しむのを覚えました。高校生になると一人でスマート珈琲店に行き、ご近所の松竹京都撮影所や東映京都撮影所のおじさん達に囲まれ、コーヒーを愉しみながらマスターと話をしていました。以来、半世紀のおつきあいです。その頃は、映画鑑賞熱が盛り上がっていて、一人で映画館に観に行っては、帰りに河原町界隈の喫茶店に行くようになり、少しだけ格好つけながらコーヒーを飲み、映画を見終わった後の感慨を反芻しては喜んでいました。六曜社、ソワレ、フランソワ、そして名前は忘れましたが高島屋の横にあった喫茶店。この喫茶店で、父母はデートで『ローマの休日』を観た帰りにお喋りを楽しんだと聴いていました。
 大学生になると急に行動範囲が広がりましたが、気づけば美味い(私の好みの)コーヒーを出す喫茶店がそれほどないのに気づくことにもなりました。
 地方から来た学生仲間と話をすると、京都という街はかなりカフェ文化が発達しているようで、20歳となった私は、改めて京都という街の面白さを知ることになりす。恐らく、桃山文化あたりからこの喫茶文化が花開き、連綿と京都の町衆に喫茶文化が花開いていったのだと思います。社会人となり、煎茶の書籍の編集に関わることで、売茶翁や伊藤若冲ら文人たちの喫茶文化の資料を読み込むことになるとは思ってもみませんでした。
 社会人になり、しばらくすると、スターバックスやドトールやと、コーヒー・チェーン店が目立つようになり、日本のどの街に行っても、ある一定の味のコーヒーを愉しめるようにはなりましたが、私の好きな深みがあり芳醇で濃いコーヒーにはなかなか出会えぬ日々が続きました。
 ロサンゼルスのウェスト・ハリウッド在住時は徒歩数分のところにシアトルズ・ベストがあり重宝しました。某有名コーヒー・チェーンの焙煎をし過ぎた酸味の強いコーヒーではなく、私が慣れ親しんでいたコーヒーに近いものがあり、嬉しい限りでした。
 帰国し、世田谷区の住人になり近場を散策していたときに出会ったのが下北沢のこはぜ珈琲店です。今もほぼ毎日、お世話になっています。
 ニューヨークでは、グレゴリーズ・カフェがお気に入りのカフェで、店内のデザインも含めて、落ち着くカフェです。
 パリでは、ダブル・エスプレッソで、スティームド・ミルク(蒸気で温めたミルク)をサイドにもらい、温かいミルクで割るのが楽しみになっています。
 焙煎しすぎで酸味の強いコーヒーではなく、じっくり焙煎し濃くのある少しまったりした深いコーヒーを探す旅はまだまだ続くのかもしれませんね。中嶋雷太

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