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悲しきガストロノームの夢想(67)「お稲荷さん」

 「稲荷寿司」ではなく「お稲荷さん」なのです。場合により「お稲荷」とだけ言っていました。私が幼いころ、京都の実家に住んでいたころです。
 いつものことながら、話がズレますが、京都の言葉は面白く、名詞の語尾に「さん」をつけることがよくあります。また、名詞の語尾に「するもん」と動名詞化することもよくあります。この「さん」付けと「するもん」動名詞化については、一度真面目に研究しておこうと思っています。
 さて、稲荷寿司のお話。
 明治生まれの祖母が生きていた1950年代から1970年代、稲荷寿司を作るときには大量に作っていたと記憶しています。五人家族だったのと、私が底なしの食欲だったのもありますが、ご飯を一升炊き、抱えきれないほどの寿司桶で寿司米を作り、甘辛く煮た具材を混ぜ合わせていました。
 お揚げさんは、何十枚もの通常のお揚げさんを真ん中で切り、寸胴鍋で甘辛く煮ていたのを覚えています。
 私が小学高学年になると、ようやく手伝わせてくれ、寿司米を軽く握り、お揚げさんに詰め込む作業を楽しんでいました。
 通常のお揚げさん半分に寿司米を詰め込んだ稲荷寿司ですから、大人の手のひらサイズの大型で、いまなら二つ食べれば満腹になるはずですが、昭和の食文化は、まだご飯をたらふく食べられるのが幸福の基準だったようで、三個、四個と喜んで食べていました。
 さて、その起源は?とGoogleで調べると、一般社団法人全日本いなり寿司協会という法人があり、江戸時代後期に江戸・京都・大阪で広がっていたようです。おそらく、京都の伏見にある伏見稲荷大社と深く関係するとは思いますが、由来は謎のようです。1852年には振り売りで稲荷寿司が売られ、幕末には稲荷寿司を売る店舗が江戸にあったようなので、稲荷寿司という食べ物はそんなには古くはないようです。
 農林水産省のサイトでは「お稲荷さんにお供えしてあった油揚げの中にごはんを詰めて、すしにしたのがはじまりだといわれる。発祥の地も諸説あり、江戸や名古屋とともに、日本三大稲荷とも呼ばれる豊川稲荷の門前町も発祥の地とされる。豊川稲荷では江戸時代後半に「あぶらげずし」が考え出されたといわれる。」とされており、農林水産省的には豊川稲荷が怪しいと睨んでいるようですね。
 いずれにせよ、稲荷神社のお供えだった油揚げに寿司米を詰めたものが稲荷寿司発祥だとは思いますが、さてその起源はやはり知りたいものです。
 ご飯をたらふく食べるのが美徳とされた昭和の食文化もどこかに消滅し、21世紀の現在はコンパクト化して見栄えも良いものに変貌を遂げました。
 かく言う私も、ご飯をたらふく食べたいモードがいつのまにか消失し、美味しいもんを食べたいモードになっています。とは言え、PC仕事に疲れ小腹が空くと、稲荷寿司をちょっとつまみたくなります。親指と人差し指でつまみ口に運ぶと、鼻腔に甘辛く煮たお揚げさんの香りと寿司米の具材の香りがほのかに漂い、指についた油の感触さえ食欲をかきたたせます。
 稲荷寿司は、永遠のソウル・フードの一つですね。中嶋雷太

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