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私の美(58)「京都人のイケズの裏にある"美":祇園祭から」

 京都のイケズ文化について書かれたものがそれなりに多く目につきますが、上から目線で語られるパターンが多々あり、京都生まれ京都育ちの私としては、どこか遠い世界の話のように感じることがよくあります。
 明日は祇園祭の山鉾の巡行で、京都に生まれ育った者としては、「蒸し暑い夏が来るな」と嬉しいけれど手放しでは喜べないという感じがします。冬は底冷え、夏は蒸し暑いので困ったものですが、秦氏が5世紀ごろに太秦あたりに土着し灌漑を始めるまでは、いまの京都市内にはあちらこちらに湿原が点在していたはずで、仕方がないといえば仕方がないですね。とはいえ、その蒸し暑い夏もそれなりに楽しむ文化があるので、言葉の上っ面だけとらえないでください。(←このあたりから、早くも京都人のイケズの背景が見え始めていますね)
 純粋東京生まれの知人によると「やはり、京都人はイケズだ」と率直な感想を聞いたことがあります。以前、夏場に京都観光に行き、バスの運転手に「祇園祭はいつですか?」と訊ねたところ、「いつ、言われてもなぁ。もうやってるしなぁ」とつれない言葉が返ってきたとのこと。一般的には祇園祭の山鉾巡行、そしてその前々夜や前夜の、宵々山や宵山の夜などだと思いますが、そのバスの運転手にしてみれば、7月1日の吉符入りから7月31日の疫神社夏越祭までの一カ月が祇園祭と総称されるものなので、彼は間違いではありません。ただ、東京からやって来た何も知らぬ観光客への回答としてはイケズに思われても仕方がありませんね。
 さて、祇園祭の話です。
 2021年2月に『京の侍:音酒麒ノ介日常:第一話 さらば、本坂丑之助』という作品を出版しました。私にしては珍しく、幕末の物語で、かなり苦心して書いたエンタテインメント小説になりました。そこで、蛤御門の変の大火にあった京都の町衆の心情について主人公の音酒麒ノ介が次のように語ります。

「 ◆ どんど焼け 元治元年(一八六四年)七月十九日に蛤御門の変(禁門の変)があり、「どんど焼け」「鉄砲焼け」と呼ばれる大規模火災が発生した。二万七千世帯が焼失し、焼失町数は、八一一町(一四五九町のうち)、焼失戸数は二七、五一七戸(四九、四一四戸のうち)となった。
『しかし…えらい迷惑なことや、キノさん』吉三は、庭の蜻蛉を目で追いため息をついた。
『これだけの大火になるとは…』
麒ノ介は、紅蓮の炎に、濁王の紅黒い影を見た。
 あの日、蛤御門の敗残兵を狙った福井藩、一橋慶喜配下、会津藩、薩摩藩や新選組らの砲撃によるものだという話が、京都所司代から流れてきたが、麒ノ介は訝しんだ。湿気た南風が吹いたあの日、何故北から南へと火の手が広がったのだろう。しかも、砲弾では家屋は潰れるが火災はなかなか起こるものではない。町場に火薬が貯蔵されているわけでもない。ひとつ確かなのは火つけだった。騒擾や騒乱を起こしたい輩。それを煽る者たち。
『どんど焼けのおかげで、祇園祭の鉾は、長刀鉾、函谷鉾、月鉾ぐらいしか残らへんだ。寂しい祇園祭になるなぁ』と、ため息混じりの吉三は、鯖寿司からぽろりと剥がれた白身を摘んだ。吉三のため息は、志士と呼ばれる者たちの知識の浅はかさを嘆いてもいた。麒ノ介は、そうとらえた。祇園祭の鉾の飾りものー応仁の乱のころの波斯、印度や中国の飾りものを通して、吉三や夕助たちは代々『世界観』を耕し、子孫に伝えてきた。『益々、武士が嫌いになるだろう』と、麒ノ介は心で嘆いていた。忿怒を押し殺す吉三や夕助たちは、強い市民になるだろう。国を動かすのは大変だが、『良い国になるには、市民が育たねば』と…」(中嶋雷太著「京の侍:音酒麒ノ介日常:第一話 さらば、本坂丑之助」より)
 毎年この時期になるとテレビなどでも祇園祭がフィーチャーされ、京都出身者としては嬉しい限りですが、その由来を辿れば「祇園祭は,疫神怨霊を鎮める祭礼である御霊会(ごりょうえ)が起源で,もとは祇園御霊会・祇園会(ぎおんえ)と称し,貞観11(869)年,全国的に疫病が流行した時,その退散を祈願して長さ2丈程の矛(ほこ)を,日本66カ国の数にちなみ66本を立て,牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりといいます。」(京都人ウェブサイトより)とあるように、千年以上も古くから町衆が作り上げてきた祇園祭という文化を、京都の外からやって来た人々が踏み躙った歴史があります。これだけではなく、応仁の乱なども含め、武士層に生活文化を踏みつけられ蹂躙された歴史が、滔々と京都の庶民に受け継がれてきているのではないかと思っています。
 祇園祭の宵山(山鉾巡行の前日の夜)に山や鉾を眺めながらぶらぶら散歩していると、あちらこちらからコンチキチンの音色や町内の子供たちがチマキを売る囃子歌が流れてきます。本格的な蒸し暑い夏の到来です。暮れなずむ夕空に映える鉾の「鉾頭」をじっと仰ぎ見る私がいます。そこには「良いなぁ」という言葉だけが漫画の吹き出しのように浮かんでいます。
 山や鉾の装飾はそれぞれとても美しいものですし、狭い通りに組み立てられた山や鉾が居並ぶ姿、コンチキチンや囃歌の音色、そして宵山を楽しみに集まってきた京都の庶民や観光客の熱気…この宵山の情景もまた本当に美しいものです。けれど、その裏側に、過去の悪行に耐え忍んできた京都庶民の心象風景も重ね合わせている私がいます。
 表面的には「イケズ」だけれど、「イケズ」に見えるように振る舞ってしまう京都の庶民が可愛くもあります。七味や山椒のようにピリリとしたものかもしれません。
 祇園祭で感じる「美」は、そうしたピリリとした深い味わいが、効いているのだろうと思っています。中嶋雷太

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