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本に愛される人になりたい(41) 小笠原宏幸著「オスマン帝国」

 日々、トルコの震災報道を見聞きするにつけ心痛みますが、「私はトルコのことをどれだけ知っているのか?」と自問自答すると愕然となります。それは、学生時代の西洋史の教科書に産毛が生えたレベルで、我ながら情けなくなります。トルコという国家の成り立ちを一から学び直そうと思いたち、早速、買ったまま書棚で眠らせていた本書「オスマン帝国」を引っ張り出しました。
 「トルコ人とは、モンゴル高原を故地とし、紀元前3世紀ごろにその姿を歴史上に現した遊牧の民である」という冒頭の文章から目から鱗になりました。13世紀にもチンギス=ハンのモンゴル帝国が、現在のウクライナやトルコまでその版図を広げているのを考えると、ユーラシア大陸(特に内アジア)の民族は広く行き来していたわけですね。ただ、トルコ人の故地がモンゴル高原であるとは、驚きでした。
 また、現代のトルコ共和国以前のオスマン帝国と呼ばれる時代に、自ら「トルコ」と呼称することはなく、オスマン帝国の約600年の歴史のなかで、トルコ系の人々がマジョリティだった時期が極めて短いと知り、私のトルコ感はさらに大きく揺らぎました。
 つまり、他民族国家だったわけで、アルバニア人、セルビア人、チェルケス人、ギリシャ人、アラブ人、クルド人やアルメニア人などの民族が混在していました。
 1292年にアナトリア半島の北西部に誕生し1922年まで存続した、オスマン帝国の歴史を読みながら、例えば、弘安の役から10年後の鎌倉時代から大正時代の関東大震災のころまでの日本史と並行し照らし合わせてみると、オスマン帝国と日本の歴史の歩みの妙味がひしひしと伝わってきて面白いものです。
 第一次世界大戦でオスマン帝国は消滅しますが、中央アジアを起点として作り上げられた文化のダイナミズムは、西洋中心主義的な近代文明とは異なる視点を学ばせてもらえると思っています。そして、現代のトルコ共和国に繋がる歴史観も。
 ただし、その文化のダイナミズムの裏にある利権主義や偏狭な民族主義などに陥らぬよう、気をつけねばなりませんが。中嶋雷太

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