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私の好きな映画のシーン(49)淀川長治「私の映画の部屋」

 今回は映画のお話ですが、特定の映画のお話ではなく、映画のお話のお話です。
 noteで、つらつらと「私の好きな映画のシーン」について書き綴っていますが、その原点を振り返ると、淀川長治さんの「私の映画の部屋」シリーズに遡ります。
 映画館の株主だった親の影響で小さな頃から映画に親しみ、雑誌「映画世界」の編集者、UA大阪支社の宣伝担当者等を経て、1966年に、現・テレビ朝日で始まった「土曜洋画劇場」(後の「日曜洋画劇場」)の解説者として三十数年間携われた方で、私が物心ついた頃には、父母と一緒にテレビの前で洋画を楽しみ、その前後に淀川長治さんの短くも核心をついた映画解説を楽しんでいた記憶があります。小学校低学年の私でも理解し易い言葉で、様々な洋画へと誘ってもらえたのは、本当にありがたいことです。
 彼の基本は、映画は学校であることと、どんな映画でも良いものだということだったと思います。
 そして、1970年代中頃、太秦の実家で過ごしていた私は、中学生になるや映画館に通う日々を始めました。最初の自腹映画は『パピヨン』だったはずです。今から考えると、かなり渋い中学生でした。
 松竹京都撮影所や東映京都撮影所が実家の近くにあり、映画の作り手の世界が身近にあったのもあり映画の作り手感覚は子供ながらに見えており、一方で、テレビで何百本はもの洋画を楽しんできて、さらに映画館で映画を見る楽しみを覚え観客として映画を楽しむことも薄らと見えてきました。
 ただ一方で、現在のWOWOWのようなテレビ局は存在せず、地上波テレビでの映画番組枠も徐々に減少したこともあり、私にとっての映画は映画館で観るのが主流となりました。必然的ですね。
 また、映画館で映画を見終わったあとに過ごす喫茶店での余韻を楽しむひと時もまた、映画館で映画を観ることに付随するというか、それも含めての「映画館で映画を観る」体験なのだと思いますし、楽しみでもありました。
 その頃に出会ったのが、淀川長治さんの「私の映画の部屋」(1976年)でした。このシリーズは、「続・私の映画の部屋」、「続々・私の映画の部屋」、「新・私の映画の部屋」、「新々・私の映画の部屋」と1978年まで全五冊が出版され、映画について話すことの原点を学んだ気がします。
 その淀川長治さんの「語り口」には、なによりも映画愛がたっぷりと込められています。そして、平易な言葉で簡潔にそれぞれの映画の核心が語られますから、その言葉が心にスッと入ってきます。
 大学生になり、映画評論家や映画を素材にした哲学者などの映画論にも多々触れるようになり、それはそれで学ぶところが多々ありましたが、映画を語る「語り口」としては、淀川長治さんのものが秀逸なまま現在に至ります。
 私もまた、いつの日か、私なりの「語り口」で映画の話をできればと願っています。特に、小学生でもすぐに理解できるような、素敵な言葉で。中嶋雷太

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