見出し画像

マイ・ライフ・サイエンス(16)「海街の光と影」

 海辺に引越し一週間がたちました。
 数十年世田谷区に居をかまえ、途中の三年間はロサンゼルスのウェスト・ハリウッドという穏やかな街で過ごしました。
 世田谷区は典型的な都内の住宅街で延々と住居が面として連なっていましたが、緑道が毛細血管のように走り、大きめの緑豊かな公園もあって住みやすい街でした。
 住み慣れた世田谷区から片瀬海岸まで徒歩1分の環境に身を置くと、世田谷区とは異なる感覚に覆われる私を、ひしひしと感じることになりました。
 引越し後の数日はただただ生活感覚が異なるなと感じるばかりで、それがいったい何なのかは分からずにいました。
 先日の朝6時過ぎ、近くのコンビニで100円コーヒーを買い、海辺で朝カフェを楽しんでいました。空が広いこと、そして何より太平洋という海があることが、世田谷区とは違うよなと、ぼんやり考えていましたが…。
 さてと、本題です。
 何故、海は青いのかという古典落語的なお題をここに掲げることにします。数多くの方がその理由を知っておられると思いますが、復習を兼ねて簡単にご説明します。ただ、それはなんでもない理由なのですが、それを大いなる端緒とする海街の風土学とでもいう科学に連なるお話になりますので、もうしばらくご清聴ください。
 さて、海は青い。
 太陽光の波長の長い赤色が海水に吸収され、海底に反射して海面に浮き上がると青色の強い光だけが顔を出します。そして、海面の波に反射した太陽光ともつれあい、キラキラと輝きます。とても簡略化した説明ですが、海街は、こうして豊富な青い光に覆われます。けれど、光に満ちているがゆえに、光ささぬ路地裏の暗がりは濃厚なまでに暗く感じます。この明暗の差が海街の奥深さ、魅了されるところだと思っています。
 海街ならではの、この光と影の濃淡が、そこに住む人たちの心象風景のありようではないかとも、身勝手ですか推察しています。
 夏場、都会からビーチに遊びに来る海水浴客にとり、海辺の街である海街は、ただただ光あふれる浜辺のイメージで彩られます。そして、目一杯、夏の海辺を堪能した海水浴客は、夕方になると都会へ戻ってゆきます。ひと夏の楽しみは本当に格別なものです。
 一方で、海街に住む人たちには、喜怒哀楽あい混じる日々の生活があります。そして、光に満ち溢れた健康的な太陽光が燦々と輝けば輝くほど、その暗がりの暗色は濃厚に映ります。明暗がはっきりとした光と影が海街の心象風景をかたち作っているのではと想像しています。
 例えば、ヘミングウェイが「老人と海」で描いたツキに見放された老いた漁師の心象風景のようにも思われます。
 光=善、影=悪という、とても幼稚な二元論が跋扈している現代に、時には太陽光を巡る光と影について、想いを馳せるのもまた良いのかもしれません。そこに、人肌のサイエンスの芽が育まれるかもしれませんね。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?