見出し画像

本に愛される人になりたい(68) サントリー発行「洋酒マメ本」

 墓参の為に実家のある京都に帰り、いつものことながらふらふらと街中を歩いていると、ある古本屋さんで、サントリーが1960年代に発行していた「洋酒マメ本」を何冊か見つけ、旅の暇つぶしにと手にとり買いました。
 元は、サントリーのウィスキーを置くトリス・バーで無償で配布していた宣伝用の本で、36冊発行されたようです。ウィスキーが好物だった亡父は全巻持っていたはずですが、今や散逸していた本です。
 懐かしさのあまり数冊買い、宿の布団の上でゴロリと横になり、旅の時間潰しをしようと読み始めたところ、あまりにも面白くて驚きました。
 写真はウィスキー編の1と2で、1はウィスキーの歴史についてのお話、2はサントリーの広告宣伝担当者だった開高健さんが戦前から戦後、そして1967年の本書発行時ごろまでの私的なお酒の歴史を語られたものになっています。そして、なんと言っても柳原良平さんのイラストが良くて、京都の夜の街へ繰り出すことも忘れ、一気に読んでしまいました。
 手のひらサイズの文字通りマメ本なのですが、マメ本とはいえ、洒脱な大人の感覚と言えば良いのでしょうか、私が子供の頃になんとなく感じていた大人の魅力たっぷりなサントリー文化がそこにありました。
 この本が発行され半世紀以上が経ちましたが、時代精神というものがあるとするならば、大人と呼ばれるはずの人々のそれはとても浅く薄っぺらいものになってきたような感覚が濃厚にあります。
 ベトナム戦争下のサイゴンを実体験した開高健さんは次のように語ります。「…あそこにあるデカダンスとなると東京のデカダンスよりもなお深くて、骨まで腐っている。日本はまだはるかに健全です。こんなに人がひしめいていては疎外もクソもあるまい。疎外、疎外とみんなは思いこみたがっているだけじゃないのか。本音を吐かしてごらん。ただ気の弱い常識的社交人なんだよ」
 精神学的な疾病は別ものとして、疎外(孤独)感やセンチメンタリズムに酔う文化が蔓延し、片や浅く薄い言葉が氾濫している21世紀の日本という国に私は生きているようです。「ただ気の弱い常識的社交人」たちと。
 本書を読み始めしばらくすると、本来あるべき大人の洒脱さに身も心もどっぷり浸かっている私がいます。
 明日の夜は、京都のバーでウィスキーを楽しみます。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?