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マイ・ライフ・サイエンス(22)「光の劇場」

 2002年の年末。私はアラスカのフェアバンクスから北へ車で1時間ほどの町を旅していました。目的はオーロラでしたが、オーロラが出現する夜空を見上げていると、満天の星が輝き流れ星が絶えず流れ、夜空のどこにも暗黒が見当たらぬ、まさに光の劇場でした。
 その星が輝く「光の速さ」を始めて知ったのは小学校高学年のころ、父親からだったか、何かの本だったかは忘れましたが、光の速さを知るや、私の脳みその一部が晴れあがったような気になりました。
 光の速さは秒速で約30万kmで、たとえば光は1秒で地球を7周半するわけです。アインシュタインが光より速いものはないと言いましたが、それはさておき、「光とは速いもんだなぁ」という驚きだけがまずありました。
 さて、そこからです。小学校の図書館にある星座の本などを借り、ノートを広げ鉛筆を片手に、いろいろと計算したわけです。現在ならGoogleとかで検索をすればすぐに回答が出るのですが、昭和の時代ですから、紙と鉛筆だけが頼りでした。
 天の川から地球までの距離は約2万6000光年なので、いま目にした天の川は約2万6000年前の天の川。「ということは、氷河期で旧石器時代、日本では縄文時代のころの天の川なのだ」とかを計算しながらあれこれ考え始めたわけです。さらに、地球と太陽の距離は約1億4960万kmだから、太陽の光は約8分前のもの、地球と金星の距離は約1億5000万kmだから、金星の光は約8分前のもの、地球と火星の距離は約7500万kmだから、火星の光は約4分前のもの、地球と月の距離は約38万kmだから、月の光は約2秒弱前のもの…と、さらに計算したわけです。
 普通ならここで終わるのがこの手の結末なのだと思いますが、約30万km向こうからの光は約1秒前のもの、約15万km向こうからの光は約0.5秒前のもの…と考え続けました。
 そこで、小学校高学年の私の光速へのこだわりは一度止まります。
 そして大学生になり哲学書を貪り読んでいるときです。認識論というよりも、視覚による知覚のことを考えていたときです。約5キロ向こうの水平線からの光は、0.0000…秒前のもの。そして目の前の手を認識するための光は、0.00000…秒前のものだという、至極当然の事実に気がつきました。
 落ち着いてここから考えると、視覚だけでなく私たちのあらゆる感覚器官で知覚する音や振動などの情報は0.0000…秒ほどのわずかな時間ですが、すべて過去のものなわけで、過去から届いた情報を知覚し認識するまでの「過去」をして「現在」なのだと自分を納得させているわけです。
 たまに晴れあがった夜空を見上げていると、そこには月やオリオン座などの星が光を放っています。大気が澄んでいた工業化以前なら、眩い光が満天の星から放たれていたでしょう。そして、その満天の夜空は、約2万6000年前の天の川の光や約2秒前の月の光まで、無限の過去の光で形作られているのだと考えると、その時間の造詣に圧倒されてしまいます。
 いつの日か、もう一度、真冬のアラスカを訪ね、あの満天の星空劇場を堪能したいものです。中嶋雷太

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