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プレ・プロダクション・ノオト(4)

拙書「春は菜の花」では家族を描きたかった。家族といってもサザエさん家のような理想的な(?)家族でも、ドラマチックな犯罪を犯す家族でもなく、日常にあるどこかいびつな家族だった。(注記:「サザエさん」は悪くありません)この何年も、テレビのニュースではDVや児童虐待などの家庭内問題が頻繁に報じられてきた。たとえば児童虐待相談件数は年間20万件を超えている。いったい何が起きているのかと、いくつかの事件を追ってみると、そこには理想的な家族像を追い求めるばかりに、それに囚われ、息苦しくなり、様々なゆがみが生じているようだった。サザエさん家的な家族像を無意識に、そして汲々としながら夢見て、結果はギクシャクし……のように見えた。2020年春ごろ、「Stay Home」と声高に叫ぶ生活に余裕がありそうな有識者の方々がイメージする家族像は、理想的な幸せな家庭で、それが普通に世の中に広く存在し、いびつな家族など眼中にはないようで、私は「危険だなぁ」とFacebookに投稿したことがある。歴史的には明治維新後の近代化に邁進する明治政府が国家の枠組みの中に組み込もうとした「理想的な家族」像が、21世紀になっても私たちの無意識に根強く存在しているように思われる。さて、本作品で描いた家族、そして個々人は、その理想的な家族像から反して何かが欠けているのかもしれない。もちろん格好良いヒーローでもダークヒーローでもない。主人公となる父親太一は、自ら「一番嫌いなのは自分だ」と語るほど、誰からみても嫌われて当然の人間だ。読者が、理想的な家族像に囚われているならば、きっと吐き気をもよおすと思う。けれど理想的な家族像に無意識に囚われた自らのペルソナを剥ぎとったとき、生きる為の種が手のひらに握られていると願う。現在は、おそらく過渡期で、それぞれの道を探っている時代なのかもしれない。中嶋雷太

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