奴隷妻卒業宣言【第3話】
【第3話シナリオ】
「おかえりなさい」
仕事から帰宅してきた慎二に声をかける。
慎二は目も合わさず、私の横を素通りしていった。
(不機嫌アピール今日も続行中……っと)
この間私が言い返したことが余程気に入らなかったのだろう。
あれから一週間が経つ今も、慎二からの無視は続いていた。
徹底して、私の存在をないものかのように振る舞っている。
一応主婦の身であるから、慎二の分の食事も用意しているが、それにも一切手をつけない。
慎二にとっては、それが私への罰のつもりなのだろう。
無視はしていても聞こえるように舌打ちをしたり、わざと乱暴に扉を閉めたりして、慎二は所々で怒ってるんだぞアピールをしている。
(馬鹿らしすぎて笑えるけどね)
手のつけられない食事は、もれなく私の次回食となっているから、食材を無駄にすることもない。
私からは一応人として最低限の挨拶はしてる訳だし、そもそも進んで慎二と会話したいとも思わない。
むしろ今は、慎二が鬱陶しいことを言ってこない分快適に過ごせている。
先に限界がやってきたのは慎二だった。
ある日の夜、帰宅した慎二はいつもの通り挨拶無視と食事スルーを決行したため、私も気にせず1人で食事を始めることにした。
そんな私を見て、ついに慎二がキレた。
「お前、なんで謝ってこないんだよ……!」
ガンっとテーブルに拳を振り下ろし、そう怒鳴った。
「謝る時間は十分にあったはずだろ!?
なのに何平気な顔してんだよおかしいだろ!」
(せっかくの食事が冷めてしまいそう)
邪魔が入ったことを残念に思いながら、私は箸を置く。
「悪いと思っていないことをどうして謝る必要があるの?」
「……はぁぁ!?」
そう尋ね返してみせれば、慎二は予想通りの反応を見せた。
「だって、私が謝ることって何?
言ってみてよ」
怯むことなく続ければ、少しの間を置いて慎二が口を開く。
「……お前、俺に口答えしただろ!」
「それの何が問題なの?
私にだって感情はあるんだから、納得できないことがあれば意見も言うよ」
「いや、だってお前は……」
口をもごつかせる慎二。
この男は、自分が攻撃されることには慣れていない。
結局、その自分ファーストを押し通して私を言いなりにしようとする。
「とにかく、俺を不快にさせたことには変わりないだろ?
ちょっと頭を下げれば許してやるって言ってるんだよ」
そこで慎二が、声色を優しいものにする。
「意地張ってると後悔するぞ。無視される生活は辛かっただろ?
な、俺はお前のために言ってるんだよ」
(……出た。慎二の決まり文句)
お前のために言ってる?そんなものくそ喰らえだ。
私はにっこりと笑みを作って言った。
「お断りします」
「……あ゛?」
ピキリ、と慎二が青筋を立てる。
「お前あんまり調子乗ってると―――」
そこで、鳴り響く着信音。
「っち……んだよ帰ってきてまで……」
どうやら仕事の電話らしく、慎二はスマホを手にリビングを出ていく。
「……クソがッ」
その去り際、苛立ち紛れにダイニングの椅子を蹴り飛ばしていくのだった。
♢
義実家を訪れると、リビングには義母・千夏に加え舞がいた。
「え、うそ。それはヤバい!
なっちゃん可愛いからなー」
「本当だよーだからこの間もやばくてさー」
「今は昔とは色々違うのねえ」
3人は仲良くダイニングに座り、話に花を咲かせていた。
私がやって来たことに気づくと、ピタリとそのお喋りが止まる。
「あなた、よく私の前に平気で顔を出せたわね」
まず初めに口を開いたのは義母だった。
義母が私を見る目は、酷く冷ややかだ。
記憶を取り戻してから、義実家に顔を出すのは今日が初めてのことだった。
よく顔を出せた、ね。
そもそも、家事がたまっているからって私を電話で呼びつけたのはこの人のはずだけれど。
「……うわ」
楽しい時間に邪魔が入ったとばかりに、私を見て嫌そうに顔を歪ませる千夏。
「若菜!
もう体は大丈夫なの?」
舞だけは、私を心配する素振りを見せた。
それがあくまで表面上だということも、もう十分に知っている。
「気を取り直して、ティータイムにしましょうか。
千夏、お願いね」
「はーい」
千夏が私の横を通り過ぎて、冷蔵庫からケーキの箱らしきものを取り出した。
予想通りケーキだったそれをお皿に乗せて、テーブルに運ぶ。
義母と、千夏と、舞で綺麗に3人分。
当然、私の分が用意されているはずもなく。
義母が立ち尽くしたままの私に向かって言い放つ。
「何してるの?
さっさとたまった家事を片付けてちょうだい」
―――ここでの私の人権はないようなものなんだな。
シンクの中に溜め込まれた食器類を洗いながら、私は改めて思う。
義母と千夏は、ケーキを食べながら楽しそうにお喋りを続行している。
舞だけは話に混ざりながらも、ちらちらと気にする様子を見せていた。
「やっぱり私も何か手伝ったほうが……」
「いーよいーよそんなの」
そう立ち上がりかけた舞のことを、千夏が止める。
「そうよ、全部やらせておけばいいわよ。
だってあの嫁にはそれしかできることがないんだから」
義母はそう吐き捨てるように言った。
「お母さんホント楽しみにしてたもんねー」
「……ようやく孫の顔が見れると思ったのに……。
こんなことになったのは、日頃の行いが悪いせいかしらね」
義母はそう言いながら、ちらりと私を見た。
一時は軟化したように見えた義母の態度は、逆戻りどころか更に刺々しいものとなっている。
流産の原因は私にあるとして、今や義母は私を敵認定しているのだ。
無意識のうちにお腹に触れる。未だあり続ける喪失感。
「赤ちゃんもさ、あんな母親の元には産まれてきたくないーって思ったんじゃない?」
千夏はそう言いながら笑っていた。
……本当に、黙っていれば好き勝手言ってくれる。
「もう、何言ってるの2人とも……」
いいのよ、舞。
思ってもないのに庇うフリをしてくれなくても。
―――言いたいことは、全部自分で言うから。
洗い物を終えた私は、ダイニングテーブルの横まで移動する。
そして、3人を見下ろした。
「な、何よ……」
少し怯んだような千夏の声。
私は怒ると無表情になるタイプだから、今もきっと能面のような表情をしているのだろう。
「率直に言って、不快です。
これ以上あなたたちの会話を聞いていると耳が腐りそう」
私が言い放てば、3人が一丸に目を見開く。
「これまでは何も言わないできましたけど、もう限界。
こんな扱い耐えられないし、耐える必要もないですよね」
「は……はあ!?」
「あなた、何言って……!」
狼狽える千夏と義母。
「わ、若菜……?」
舞も唖然とこちらを見ていた。
慎二の時と同様に、私がこんな風に言い返すのが“信じられない”という様子だ。
「という訳でとっても気分が悪いので、帰ります」
そう告げて、さっとバッグを持つ。
「帰るって……残りの家事はどうするのよ!?」
どうせ私がやるからと溜め込まれていた家事は、まだまだ残っていた。
でも、と私は義母に向き直る。
「そもそもこの家のことだって、私の善意で成り立っていますよね。
こんな扱いをされてまで奉仕する趣味はないので」
善意につけ込まれ、そして搾取されてきた。
でも、これからの私はそうじゃない。
「ま、待ちなさい……!」
引き止めようとする声にも振り返らず、私はさっさと義実家を後にした。
「……待って……若菜!」
義実家の門を出て、曲がり角に差しかかる手前。
背後から聞こえてきた声に振り返ると、そこには息を切らした舞がいた。
「追いかけてきたの?」
「だって、なんか様子がおかしかったから……」
舞はそう言って、私を伺い見る。
「まるで若菜じゃないみたいだった」
「……ちょっと、場所を変えて話そうか」
「……つまり、記憶喪失になってたのが元に戻ったってこと?」
舞を自宅に呼び、私は記憶喪失の件を打ち明けることにした。
「そう。
だから舞からしたら違和感あるかもしれないけど……今の私が、本来の私なんだ」
私が以前と違うことは誰の目から見ても明らかだろうし、それで変に勘ぐられるよりは、ある程度の真実を教えておいた方がいい。
―――証拠集めとか、変に動きにくくなっても嫌だしね。
「そ……っか、うん。
事故にあって記憶を失くしてるっていうのはちらっと聞いてたけど、こんな風に取り戻すこともあるんだね」
舞は素直に驚いているようだった。
「それに、今日は本当に驚いちゃった。
私は前までの若菜しか知らないけど……あんなにはっきりと言える人だったんだね」
「うん。
これまでの私とはまるで正反対だよね」
私が笑えば、舞もどこかぎこちなく笑い返してくる。
そんな舞に、私は更ににっこりと笑いかける。
「でも大丈夫。
舞のことを大切に思う気持ちは変わらないから。
―――だからこれからも仲良くしてね」
慎二と舞。
あなたたちの罪を追求する準備が整う、その時までは。
舞の帰宅後、1人ソファに座りながらぼうっと宙を見つめる。
記憶を取り戻してから、ずっと頭に浮かんで離れないかつての思い出。
黒と白の上で踊る、軽やかな指先。
弾いている時の顔は真剣なのに、私に向ける笑顔はいつもへにゃりと眉が下がって。
『―――若菜ちゃん』
私のことを呼ぶ声も、何もかもがキラキラしていた。
「……理央……」
―――あなたは今、どこで何をしているのだろう。
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