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私が思うに、荷上げは義務であり、信頼であり、承認なのだ。

真木には様々な仕事がある。農作業、鶏の世話、山羊の世話が主なものだが、その他にも炊事、洗濯(これは1,2週間に1度だが)、掃除(当番制)ももちろんある。壊れた道具や家具があれば自分たちで直すし、時には家までも直す(なんと茅葺屋根の修理もする。日本全国、10人いるかいないかといわれている茅葺屋根職人さんが、真木にいるのだ!ちなみに私も手伝ったことがあり、その経験は一生の宝ものである)。

様々な仕事の中で、最も困難でつらくて、できれば避けたいが、それなくしては真木での生活が成り立たず、生活する以上誰もが必ず担わなければならないという、特殊な位置づけの仕事がある。

その仕事は、”荷上げ”と呼ばれている。


余談だが真木では、心身に不自由を抱える人も暮らしていて(というか、信さんも言っているが、心身に不自由のない人などきっといない)、それぞれできる範囲や量が違うので、

「その日、その人のできる100%の力で仕事をすれば良い」

という考え方だ。ある人の100%の力を出しても仕事が完了しない場合、できる人がカバーをする。シンプルなルールだ。
逆に、その人なりの100%が出せなかった(あきらかにやる気が見られなかったり、自分勝手な行動に出たりする)時は、夕食後の反省会で指摘される。

後日私は社会人になり、「結果はでませんでしたが、一生懸命やりました」が、ほとんど何の価値もないことに気づいたとき、よく真木のことを思い出した。会社では、結果がすべてであり、数字として結果を残したものが、上へと登っていける仕組みなのだ。
むしろ、70%の力で結果を出せるなら、その人がより有能!という世界。
全くそれを非難するつもりはない。ただ、「仕事」というものの両極端を経験したのだな、といつも思うのだ。


さて、そんな真木の仕事、「荷上げ」について。


それはメンバー間でも共通の認識なのだと思う。「荷上げ」を最も重要なものと位置付けるのはほかでもない、この、まるで修行のようなつらい登山にある。

何か用事があって下山した者はとにかく、手ぶらで家に帰ることは許されない。その時期は茅葺屋根修理が間近に迫っていたこともあって、主に茅を運ぶことが多かったが、その他なんでも、生活用品でも食糧でも、必ず何かをもって上がらなければならない。

何せ、外界から遮断されたような、天空に浮いているような、手付かずの山の中腹に忽然と現れる小さな集落に人が暮らしているのだ。誰かが運ばなければならない。必要なものが降って湧くわけもないのだから。

週に1日、生協で注文した商品(生活用品だとか、肉、魚などの食料)が麓の宮嶋家に届く。それを、メンバーが交代で取りに行く。この仕事が、何をおいてでも必ず達成しなければならない最重要課題である。

この仕事に得意不得意は関係ない。身体が不自由であろうがなかろうが、下山し、荷を背負い、登山する。Mさんは能楽の家に生まれ、現在は真木で生活している年齢不詳(50歳くらい?)なのだが、往復6時間くらいかけて荷上げしていた。いつまで経っても帰ってこないので、どうしたのかと、ハラハラしまくっていたが、どうやらいつものことらしい。Mさんはとても動作がゆっくりしている人だ。普通の人の0.5倍速くらいだろうか。仕事内容によっては0.3倍速……( ゚Д゚)?

Oさんのような百戦錬磨の人も、Mさんや、タイさん(後ほど登場します)のような登山下山が困難な人も、同じ回数、荷上げをする。

他のメンバーのために、大切な大切な荷物を運ぶのだ。

この仕事に関しては、途中で誰かにカバーしてもらうことはできない。1人で降りて、1人で荷上げする間、他のメンバーは畑仕事や炊事や掃除に忙しい。物理的に距離があるので、自分だけの力で完結しなければならない。100%の力でも及ばなければ、120%、それでもダメなら300%の力を振り絞らなければならないという、真木で唯一の、個人的結果を求められる仕事なのだ。

もちろん、滞在中私も荷上げをした。

順番が回って来た時、
(ついにきたか……正直嫌だ……)と思った。

茅を、恐らく20㎏~30kgくらいを運んだ。

辛かった。もうとにかく、辛かった。

しかし、仮初にも真木のメンバーになれたという喜びが確かにそこにあった。

私が思うに、荷上げは義務であり、信頼であり、承認なのだ。




余談だが、あの時荷上げした茅は、現在は立派な屋根に生まれ変わっている。私のあの時の努力が人の役に立っているという証拠なので、辛い思いをした甲斐があったな、と感慨深い。

茨城の東端から、遥か信州の山奥を思う夜である。

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