私は自分の身体のコントロールを9割9分9厘、失った。
峠を2つ越えるのだ、と聞いていた。
すると、私は1つ目の峠に達したということだ。
先へと続く道は、なんと、下り坂になっているではないか!
下る、ということは、登る、という行為よりも楽に違いない。だって、重力に逆らわないのだから。20㎏の荷物も手伝って、なんなら気持ちよく進めるのではないか?
自分自身の内側の宇宙に引きずりこまれていた私の眼前に、ひとすじの希望の光が差した。
そして、あっけなく消えた。
(待ってください!待ってください!待ってください!待ってください!待ってください!待ってください!待って……!!!!!!!!!!)
私の心は叫ぶ。(相変わらず声はでない)
足がもつれて転びそうになるのだ。
あまりにもスピードが出すぎて。
それだけならまだいいのだが、足場が悪すぎるのだ!
その日は天気が良かったのでぬかるんではいないのだが、砂利道のような場所もあり、足を着くとその勢いでずるっと滑る。
必死に転ばないように全神経を集中させる。しかし一瞬ののちには次の足が前に出て、ずるっと滑り、そして次の足が出て……の繰り返し。
下っているのか、転がっているのか、もうわけがわからない。
私は自分の身体のコントロールを9割9分9厘、失った。
なんとも恐怖なのは、道幅が狭いうえに、左隣が、崖なのだった。
もちろん、むき出しの崖。
柵とか、そんなものはない。
遥か下には小川が流れている様子。ここを転げ落ちたら、瞬間に天に召されるだろうな。急降下からの、急上昇。気圧で肺がつぶれちゃったりして。あ、でももう死んでるんだから関係ないか。あはははは……
などと、脳内がえげつないほど混乱してくるのもうなずけるほど、登りに比べて身体は確かに楽なのだが、恐怖心が止められない。
しかも、Oさんはやや前方、少しずつ離されてしまっている。
こんな場所でもしOさんを見失おうものなら、身体はかろうじて生きていても精神が死んでしまう。これ以上離されるわけにはいかない、それなのに!
それなのに!
一段と道幅が狭くなってしまった。さらに、足元はもはや「道」ではなく、「岩場」。
岩が連なっている道なのか、ただの美しく残酷な自然なのか、
見わけもつかない場所をゆく。
(待って!!お願い、待って!!!)
恐怖のため真っ青になりながら、疲労も忘れて駆け下りた。
後に他のメンバーに聞いた話だが、私が登山してきたスピードは、過去の青短の実習生と比べても、早いほうだったという人もいる。
大ベテランのOさんが、たとえ「ゆっくり」歩いたとしても、それは私にとっては新幹線の後ろを猛烈にダッシュしているのとほとんど変わりない。
目が、漫画でみるように渦巻状態になったまま、下ること数十分、ふっと身体が楽になったような気がして、魂を必死に自分に引き戻してみると、すぐそこに川が流れていた。
小さな橋が一本、渡されている。
(ここが、谷底か……!)
Oさんはこちらを振り向いたが、その顔には、相変わらず、憎たらしいほどに疲れの色は見えない。
「ちょっと休憩しようか」というOさんの声を聞くより前に、私はその場に崩れ落ちていた。
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