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幼き頃の自分へ夢かなえたよの報告

わたしは小さい頃から、
とても記憶力が悪く(そのようにされてきている)
基本的に悪いことはすぐに忘れることが上手でした。

それはきっと今でも生きていて
とても武器になっているように感じます。

記憶の一番の厄介さは
「恐怖や恐れ」が根付いてしまうことです。
なので、記憶力が悪く設定してきた方は
基本的には根っからの楽観的で
無計画・無装備で生きているので
それだけの経験値が豊富の人生になります。

しかし本人からすれば
その場で起こった恐怖体験も
「怖かった部分」だけなぜか忘れ、
「面白かった部分」だけ切り取られて
記憶しているので
またその体験をしてみたいと思うんです。

はたからするとただの「お馬鹿」で
片付けられてしまうのかもしれませんが
本人はいたって本気です。
本気で経験しようとしています。

わたしの自分の軸というのは
こういう自分がいます。
とにかく体験したがりな魂です。
なので、それを止めてくるパートナーや親からは
逃げようとしてしています。
自分の経験値を狭まれることは
何よりも苦しいことです。
生きている世界に制限がなく
青天井なので、
それこそが生きていることへの
醍醐味なので、
それを奪われてしまうと
一気に生気を失います。

それを2015年から8年間経験しました。
家からほとんど外に出られない経験です。
これも自分で計画してきたのでしょう。
わたしは自ら束縛の激しい相手を選び
自分の自由さにものすごく制限をかける環境を
自ら選んだのです。
全ては経験のために。
わたしは女ですから、
暴力を振るわれる、
という経験もそれまではしてませんでした。
なので、この際ここで経験しようと
それも自分で設定して来たのです。

そこで学んだことは、
実際に殴られている、蹴られている間というのは
こちらもアドレナリンが出ているせいか
さほど「痛みを感じなくなっている」ということでした。
そして気づいたことは
肉体の傷以上に「心の傷」というものを負いました。
ここで初めて、
「恐怖心からくる記憶」が残りました。

また逆らったりしたら殴られるかもしれない。
またこうしたら髪の毛を引っ張られるかもしれない。
またこしたら蹴飛ばされるかもしれない。

そうやって、初めて記憶からくる
未来の選択への制限をかけている自分が
存在していることに気付きました。

何度も家を飛び出し、逃げましたが
必ず連れ戻されてしまいます。
しかしそれほどわたしのことを必要としてくれてると
歪んだ愛を学びました。
彼はわたしが必要なんだ、と
そのように自分を洗脳して
わたしは彼が満足してくれる自分になろうと
自我を屁し折りました。
これが実はのちに繋がる覚醒と
非常に深い結びつきを感じています。

ここでとことん「エゴ」と向き合ったのです。
エゴがあると、
彼に反発したくなったり、
逃げたくなったりしてしまう自分がいたので
徹底的に自分のエゴを見つけ出し
自分の自我というものを根っこから抜きました。
人との共存のために
ここまでできる自分がむしろ怖かったのですが
ここへきて、これがわたしの本質的な特性だと
いうことも気づいていきます。

そして歪んだ手法ではありますが、
自我の根っこを自ら抜いた人間は
どうなると思いますか。
「生きる気力を失う」んです。
1日1日の命を生きることが非常に難しくなります。
これもここまでを経験したからこそ
味わえた感覚です。
24時間を生きるのさえしんどくなり、
「朝」が非常に怖くなります。
なぜなら、「今日もまた始まってしまった」と
今日を生きなければならない
無言のプレッシャーがそこにあるのです。
これは極限までを経験しなければ
味わえない感覚でした。
だから、わたしはそういう方により添える
理解できる力を自分の経験によって頂いたと
感謝しています。
そういう方に寄り添える自分の土台が
出来上がったことがとても嬉しかったんです。

そして、その生きる気力を失いながらも
それでも日々彼のために尽くす自分に自惚れていました。
わたしはここまでの精神力があるんだ、と。
自分がたとえボロボロでも
人のためならばここまでできるんだ、と
歪んだ自惚れで自分を奮い立たせてました。

料理も相当頑張っていました。
彼が喜んでくれるからです。
そのおかげで料理はかなり上達しました。

そして覚醒直後はそんなどんな環境でされも
全て自分が蒔いた種で
自分が全てを設定してきていて
きっとそれ通りに歩んでいるのだから
誰も責めることもできないし
誰も恨むことできないし
全てに感謝しようと決心しました。

自分の存在以外に
全てに感謝しようと心に決めた自分がいました。
とても心が軽くなりました。
自分がふわっと軽くなりました。
そうか、わたしはたくさん感謝したかったんだって
ことに気付きました。
そうだ、この世界に生まれた意味は
多くのものに感謝するために来たんだ、と。
しかし、その頃の自分はまだ未熟で
そこには自分という存在が含まれてはいませんでした。
自分の存在には感謝を向けていなかったのです。

そして徐々に覚醒が起きていくと同時に
感謝をするために生まれてきたことに
気づいてしまったので、
もうこの世界で学ぶことは終わった、と
自分の星へ帰りたいと
意味もなく泣き始めるようになりました。
自分がどこからきたか、なんてその時は知りません。
ただ、空を見上げてキラキラ輝く夜空を見ると
あそこがわたしの本当の居場所なんだって
なんかわからないけど
そのことが腑に落ちすぎてしまっていたのです。

そこには本当の
お父さんとお母さんがいるので
その愛の元へ帰りたい、と。
わたしはもう十分ここで学んだよ
もう気づいたよ、だからもう帰りたいって
とにかく泣きまくってました。

そして、全てを悟って
この世を去ることに決めました。
誰にも言わず、誰にも気づかれないように
ひっそり家を抜け出して。
きっとこの選択が間違っていれば
神様が何かしらのサインを出すだろうと
委ねていたのですが
驚くほどスムーズに実行できてしまったんです。
ここまでスムーズにいくってことは
間違った選択ではなかったんだ、と
どこかで確信してました。

最後にお世話になった方々に感謝をして
そしてこの生を頂けたことに感謝して
数百錠の薬を三回に分けて飲み込みました。

効くまでまでにはさほど時間はかからず
意識の朦朧と全身の痙攣で気を失いました。
そしてその頃わたしが帰ってこないと
騒ぎになって警察を家族が呼びました。
スマホが家に置いたままだったので
警察はわたしのスマホ履歴を確認し
わたしが何をしているかというのがここで
バレます。

捜索をすると思いきや
母がわたしの居場所をピンと言い当て、
「絶対〇〇にいる!!」と言って
警察をそこへまで行かせると
本当にわたしがいた、という
これもすごい経験でした。

わたしは3日ほど眠っていました。
そこで光の世界を見にいく経験をしていました。
ここで宇宙の概念、この世界の本質をダウンロードされ
チップも埋め込まれました。
そしてアルクゥルスの魂がウォークインし
この地球のために生きていくことを契約し
わたしは地球に戻りました。

そして、別人のオーラを放つ家族は
わたしにびっくりしていたのです。
「誰?」と。
時たまに過去のわたしが出てくるのですが
発する言葉が、思考回路が別人だ、という。

わたしもそれは自分で気付きました。
これは自分ではない、と。
でも過去の自分ではないのであって
ものすごく本質な自分が出てきていると思いました。
これが本当のわたしなんだったんだ、と
いう感じです。思い出した感覚でした。
それはまるで、
肉体と魂がピタッとくっついた感覚で
魂の自分が何を求めているかが
はっきりとわかる感覚でした。
なのでもう「嘘」というものがつけなくなりました。
ありのままの自分ではないと
モヤモヤ感が半端ないのです。

そんな感じで
わたしはちょっと粗治療みたいな感じでしたが
そのようになって、
ワンネスや無性の愛という
この世界の真理に辿り着けるようになっていきました。
全てが繋がっていたという
この繋がりというものが実際にどのような経路で
繋がっているのかということが
はっきりとわかるという感覚です。

そして本当に今があります。

過去のわたしと大きく違うところは
「自己愛」で満たされているということでしょう。
この世界にいると
やはり消耗することもあります。
しかし、
自分自身で愛をチャージできるようになりました。
なので常に心が満たされているので
「常に上気分」でいられる自分がいます。
本当に心地いいなあとこのことが体感できて
嬉しいなあっと悦びの体感がたくさんあります。

まだこんなに学べることが
実はまだこの世界にはあったのだと、
そして今までは苦しみを伴う体験ばかりでしたが
ここへきてフェーズがガラッと変わりました。
愛の方向性の学びのフェーズです。
毎日が本当に愛おしさで溢れる体験を
用意してくださっている宇宙には
頭が上がりません。
本当に心から魂から感謝しています。

そして、ここへいきて
ようやく全てのパーツが集まりました。
人を助けれる自分の土台が完成したのです。

ぷっひゃあーーーーーー
3歳の頃から人の内側に入って
人の黒いものを取ってあげたいと願っていた
あの頃の自分にやっとできるようになったよー!
生きててよかったよー!って
やっとやっと言えるフェーズまで来ました。

27年かけて培った経験を
自分の愛のエネルギーを元に
悩まれている方達を全力でお導きしていきたい
やっとそれができることが嬉しくて嬉しくて。
多分わたしは人のためだったら
どこまでもできる気がする
そんな無限の懐が自分の中にはっきりとあるのを
感じられる。
前回は自分を愛せず、他人のために動いてしまっていたけど
今は自己と他者に隔たりがなく
それは全て繋がっていて一つであるからこそ
そこで生まれる循環で元気と愛をチャージする経路を
体感できたので、
愛の無限がよくわかります。

そんな感じで長くなったので疲れました笑
終わりがさらっとしすぎてすみません。
でも、もう手が痛いんです。笑






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