バートランド・ラッセル 幸福論 「嫉妬」

注:翻訳中、部分訳です(2024年7月現在)

バートランド・ラッセルが好きです。

私の翻訳は、読み返しハイライトしている部分を太字にしていることがあります。ご理解いただければ幸いです。

他人と比べないで生きることは、難しいです。
個人的には、… 処方箋は… のくだりが、至極最もだと感じます。

原文はGutenbergより。

https://www.gutenberg.org/

嫉妬というのは、事実、一種の悪習である。
同義的また知能的な面で、物事それ自体を見ることなく、他との比較でしか物事を見ないという点で、一種の悪習である。

こうした諸々に適した処方箋は、心をしつけること、すなわち、無益な考えに陥らない癖をつけることだ。
結局のところ、幸せよりも妬ましいことなどあるだろうか?(解釈:妬むより、幸せになる方がいいではないか)

嫉妬しないためには、自分に今ある喜び、自分がしないといけない仕事を楽しむこと、そして(あなたが、多分間違っているけれども、自分より幸せだと思っている)他人と比較するのを避けることである。

私は、自分に自信を持つように子供を育てることは、とても重要でよくよく考えるべきことだと考えている。
他のオス孔雀の方がいい尻尾を持っているなどと嫉妬するオス孔雀はいないと思う。
どのオス孔雀も、自分の尻尾が世界で一番だと思っているからだ。
だから、オス孔雀は平和な生き物である。
もし、オス孔雀が、自分の尻尾を良く思うのはいけないことだと教育されていたとしたら、どうなるだろう。他のオス孔雀が羽を広げるのをみるや否や、こんな感情が湧き立つようになる:

当然のことながら、嫉妬心というのは競争心と深く結びついている。明らかに手の届かない事柄に対しては、嫉妬心は生まれないものである。社会階級が固定されていた世の中では、階級は神によって定められたものと皆が信じている限り、最下級の人々は上流階級の人々を妬んだりしなかった。
物乞いは、自分よりちょっと成功している物乞いを妬むことはあっても、億万長者を妬むことはなかった。

嫉妬心を和らげる一つの方法は、疲労を減らすことだ。
しかし、最も重要なのは、直感的に満たされた人生を送ることである。

結婚生活が幸せで子供家族に恵まれている人は、生活と子供の養育に十分な収入がありさえすれば、他人が自分より金持ちだとか成功しているからといって嫉妬することはあまりない。
人間の幸福に必要なことというのは非常にシンプルで、それがあまりに単純なので、洗練された人というのはそれを認めたがらない。
社会階級が流動的になったこと、民主主義・社会主義の平等意識によって、妬みの感情は大きく膨れ上がった。

昔は、嫉妬の対象は隣人だけであった。近所に住んでいる人のことしか知らなかった。
今や、教育とメディアによって、全く知り合いでない数多の人間について、広く浅く知り得るようになった。

こういう憎しみやヘイトは、全てプロパガンダのせいだと思われるかもしれないが、それは浅い説明である。プロパガンダは、親しみを呼び起こす時よりも、憎しみを掻き立てる時の方が、ずっと効果的である。なぜか。明らかにそれは、近代文明における人々の心は、親しみよりも憎しみに傾きやすいからである。なぜ憎しみに傾きやすいかというと、それは不満があるからだ。
その不満の実態は、心の奥底で、恐らく無意識のうちに、人生の意味を失くしてしまったという気持ち、そして自分以外の誰かが、自分は得られなかった当然の人生の喜びを満喫しているのではないかという気持ちである。
人生の楽しみは、総合的には、原始人よりも現代人の方が多いだろう。
ただし、もっといい何かを追い求める気持ちも強くなったことは間違いない。

子供を動物園に連れて行った折に猿を観察すると、猿が活発に動き回ったり木の実を割るのに集中していない時、彼らの物悲しい様子に気付く。人間になりたいけれど、どうしたらなれるのかわからない。そんな風に想像する。進化の過程で、猿たちは置いてけぼりにされてしまった - 彼らの従兄弟は人間になれたのに。
これと似た感情が、文明人にもあるようだ。
もう少しで手の届きそうな、もっといい何かがある筈なのだが、それが何なのか、何処にあるのかわからない。
どうすればいいのかわからないまま、同胞に怒りを向ける。そしてその同胞も、同じく不幸で途方に暮れている。

我々は進化の過程にあり、進化はここで終わりではない。
我々はこの進化の過程を素早く通り抜けなければならない。さもなくば、我々の大半は、疑念と恐怖の森で迷い、息絶えてしまうだろう。
この意味では、嫉妬心は悪であり酷い結果をもたらすけれども、それ自体全く邪悪なものではない。
嫉妬心には、英雄的痛みという一面もある。真っ暗で何も見えない夜に歩き続ける痛み、願わくばより良き安息の地に続く道、恐らくは死と破滅に続く道を。
この絶望から抜け出すには、文明の人は、かつて頭脳を大きく進化させたように、心を広くせねばならない。
彼は、自らを超える術を見つけなければならない。それができた時、彼は万有の自由を手にするだろう。

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