バートランド・ラッセル 「私がキリスト教徒でない理由」(1927) 14/15 【恐怖心 〜宗教の土台〜】


原文はリンクをご覧ください。

https://users.drew.edu/~jlenz/whynot.html

宗教の主たる土台は恐怖心であると私は考えている。

一部は未知に対する恐怖であり、一部は既に述べたように、すべての問題や争いから守ってくれる兄のような存在がいつも傍にいると思いたい願望である。

恐怖心はすべての土台である - 不可思議なことに対する恐怖。敗北の恐怖。死の恐怖。

恐怖心は残虐行為の源泉だ。残虐行為と宗教が一体化しているのは当然である。残虐行為と宗教の根本にあるのは、恐怖心なのだ。

現代において私たちは、科学の力で徐々に物事を理解しコントロールしていけるようになった。これによって次第にキリスト教、教会、全ての古の規範と距離ができるようになった。

私たちは、科学の助けを借りて、人類が幾世代もの間抱えてきた臆病な恐怖心を克服ことができる。

科学 - 私の考えでは、我々自身の心も - が私たちに教えてくれること。
それは、私たちはもう想像上の救いを求めたり、天に住む味方を考え出す必要はないということだ。
何世紀にも渡り教会が説いてきたような世界を求めるのではなく、自らの力で世界を住みやすい場所にしていくべきだということである。

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