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連続小説 Tの世界 ~1章 違和感の始まり~ ダークファンタジー・SF

アキラはかつて、誰もが認めるエリート学生だった。東京の名門大学を優秀な成績で卒業し、未来には明るい希望が広がっていると思われた。しかし、その期待は一瞬で崩れ去った。就職活動が始まると、アキラは次々と企業から届く不採用通知に失望していった。
 最初の数回は気にしなかった。アキラは元々根が明るく、人気者であった。彼は、小さな不運は誰にでもあることだと自分に言い聞かせた。しかし、不採用の通知が増えるにつれて、彼の自信は次第に揺らいでいった。どこかで何かが狂っている。そんな漠然とした違和感が、彼の心に重くのしかかっていた。
 さらに、アキラにとって最も辛かったのは、3年間付き合っていた彼女のエリカが離れていったことだった。22年間生きてきた中で、最もアキラを理解してくれたのがエリカだった。エリカはアキラの中にある、他の誰にもない滲み出るセンスを、自分だけのものにしておくことが何よりも幸せだった。
 3年間の甘い生活は、就職活動の失敗が続く中で、家柄の裕福なエリカ一人では、心理的に支えられなくなっていた。
「ごめんね、もう無理かも。」と涙ながらに告げられたその夜、アキラは深い孤独と絶望感に包まれた。一番の味方であったエリカの言葉は、アキラの心に深い傷を残した。別れる間際まで、彼は彼女の手を強く握っていた。離れたくなかった。だが今、部屋の中は静まり返っており、ただ時計の針の音だけが響いていた。
 エリカに別れを告げられて数ヶ月、アキラは街を徘徊し、飲み歩いていた。復縁を迫りたかったが、仕事もしていない状況で、プライドが許さなかった。本当はそれ以上に傷ついていた。何もかもがうまくいかない中、酒に逃げることだけが孤独なアキラに残された唯一の慰めだった。
 アキラは毎晩、J-POPの流れる駅前の安い居酒屋やブラックミュージックの流れる時間制飲み放題のバーを転々としながら、そこで出会う異性の声や香りを頼りに、現実から逃げ続けた。そんな生活が続く中で、アルバイトや物品の転売で貯めた貯金も底を尽き、彼は次第に自分を見失っていった。
 疲れた体をソファに沈め、彼は何気なくスマートフォンを手に取った。社会参加型SNSのアプリを開くと、そこには数十件もの通知が溜まっていた。通知の大半は「不採用通知」だった。
 企業からの冷たいメッセージが、画面に次々と表示される。アキラはその一つ一つを確認しながら、心の中で何度もため息をついた。期待していた企業も、そうでない企業も、すべてが同じ結論を突きつけてきた。面接さえも受けさせてもらえない理不尽さを受け止められずにいた。
 何も考えたくない気持ちで、アキラはテレビのスイッチを入れた。ニュース番組が流れていたが、アキラはそれをぼんやりと見つめていただけだった。
 その時、突然「速報」の文字が画面に現れた。アキラは特に気に留めることなく、ただ無感動に画面を眺めていた。だが、次の瞬間、信じられないものが目に飛び込んできた。
 画面に一瞬だけ表示された文字、それはアキラ自身の名前だった。『府中市 竹下 アキラ』何の前触れもなく、理由も分からなかった。信じ難い光景に、アキラは一瞬息を呑んだ。頭の中で何度も名前が反芻される。
 まるで幻を見たかのような感覚、あるいは酒の飲みすぎや社会に適合できないストレスから、精神疾患を発症してしまったのではないかという恐怖が心を締めつけた。自分の精神状態がどんどん壊れていくような気がした。
 その夜、アキラは眠れないままベッドに横たわっていた。
 翌日、アキラは大学時代の友人たちと会う約束をしていた。皆、名だたる企業に就職し、順調にキャリアを築いている。
「お前、いつまでも飲み歩いてないで、ちゃんと仕事探ししろよ。」と友人に言われ、アキラは「一応、就活続けてるんだけどな。」と答えたが、内心はその言葉が刺さるばかりだった。
 彼らと再会するのが楽しみだったはずなのに、今は気が重かった。成功している友人たちの前で、就職活動の失敗を話すのは辛かったし、何より自慢の彼女との破局は明らかにしたくなかった。
 飲み会から帰り、アキラは再びテレビのことを考えていた。そんな時突然、ドアのチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろうか。警戒しながらドアを開けると、何度か家に来た新聞の勧誘員が立っていた。いつもなら満面の笑顔とビール券でアキラを契約に取り付けようとする男だったが、この時は無表情でアキラに一枚の封筒を差し出した。
 部屋に戻ってソファに寄りかかり、受け取った封筒を開けると、中には名刺サイズの1枚のカード。そこには「49位」とだけ書かれていた。
「なんの順位だよ。合否も会社名も書かずに通知を送るなんて、非常識だろ。」と独り言を言いながら、アキラは頭を抱えた。
 その瞬間、これがただのいたずらではないことを直感的に感じた。理由は彼が大学生時代にサッカーの部活で貰ったユニフォームの背番号が49番だったからだ。
「俺を知っている誰かの仕業か、それとも偶然なのか。」と考えたが、誰が何のためにこんなことをしているのだろう。偶然にしても、理解できない現実が動き出しているようだった。テレビの音が静かに流れていたが、アキラの耳には全てが無音に感じられた。
 翌朝、アキラが勢いよく目を覚ますと、封筒もカードも跡形もなく消えていた。部屋のどこにもない。アキラは何度もゴミ箱をひっくり返した。
「夢、だったのか。」と静かな世界で自分の声だけを聞いていた。
「・・・病院に行こう。」とアキラは呟いた。この半年間に起き続けた不運と逃避行動に、ようやく正面から向き合う決心をした。このときのアキラは、心の声と自分の口から発する音声が混濁している状態であった。

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