見出し画像

音楽番組、お茶の間、ノスタルジー。

小学生だった頃、家族団らんの時間に、
ニュースが見たい父を説得し、
テレビで見た音楽番組が忘れられない。
学校で流行っているミスチルが見たくて、
テレビにかじりついて見た、あの記憶。

大人になって、久しぶりに集まる年末の実家には、紅白歌合戦と、あの時と変わらない、
家族団らんの光景が繰り広げられる。

「何がいいのかわからない」と言いながらも、
一緒に見ている父。他の番組にしないかとやんわり提案するものの、私たちに付き合ってくれるやさしい末っ子長男。

何時頃に誰が出るとか、衣装がすごいねとか
誰がトリを歌うのきゃっきゃっと騒ぐ、
母と姉と私。

お風呂はいつ入るかとか、
アイスを食べるか食べないとか。

私の記憶の中で、
テレビの前にはいつも家族団らんがあった。


テレビっ子で育った私は、
超特急が地上波音楽番組に出ることが発表され、
最初に思ったことは、見逃し配信じゃなく、家に帰って、リアルタイムでテレビで見たい!だった。

録画予約はしたし、見逃し配信もある現代だけど、リアルタイムにXのたくさんのポストと一緒にお祭り気分で見たかったからだ。


待ちに待ったその日、
私は、とても仕事に集中していた。

帰り間際に、もう少し仕事をしたいと思ったが、
その気持ちをぐっとこらえ、明日以降の段取りで問題ないことを確認し、退勤することにした。

それでも私はオフィスで最後の一人だった。

帰り支度をしながら、18時台は無理だったけど、
20時台の出演予定に間に合うかもしれない。
そうだ、今日の夕食は、何か簡単なものを買おう。
お風呂は終わってからにしよう。
とか考えていた。


職場を出て、少し行ったところで、
あれ?ちゃんと戸締りしたかな。とふと思った。

いつもの事だ。
「施錠したのか心配事件」が勃発した。

もう、人生で同じことを何度も、
いや、何百回も繰り返している。
一度もカギが開いていた事は無かった。

戻るべきか、戻らざるべきか。それが問題だ。
戻ったら、間に合わない。

絶対施錠したよと、頭の中の自分が言っている。
でも、絶対は世の中には存在しない。初めてが今、発生しているかもしれない。こんな時ほど自分は信じられない。もし、施錠されていなければ、始末書か。始末書で済めばいいが、始末書以上に最悪のシナリオが次から次へと頭に浮かんだ。

気づいたら、涙目になりながら、
来た道を引き返していた。

仕事が終わるまでは、あんなに集中していたのに、
片付けて、職場を出る時に浮かれていたのか。
もしかしたら帰り支度をしている時に、
鼻歌を歌っていたかもしれない。
あの時の自分を恨んだ。

もう、間に合わない。


戻ってみたところで、もちろん、施錠はされていた。きちんと整理され、何の問題も無い、いつもの光景だった。きちんと仕事は終えていた。

出た言葉は、そうですよね。
私は一人つぶやいて、帰ることにした。

悲しみの中で。


とぼとぼと帰り道を行き、電車に乗った所で、
TVerを開いたらリアルタイム配信があり、
ちょうど、超特急が出演していた。

画面は小さかったが、全部じゃなかったけど、
ちゃんとリアルタイムで見ることができた。

Xにはたくさんの8号車(超特急のファンネーム)さんのコメントがあふれていた。感動の言葉や、衣装や髪型の事、わー、とかきゃーとかの言葉にならないコメントまで。とても楽しかった。

家のテレビの前ではなかったけど、
この時間を共有できて、うれしかった。

涙目で職場に引き返した事は、すっかり忘れ、
ただ、ただうれしかった。


この時、私は、小学生だった頃の、
あの時の記憶を思い出していた。

放送が楽しみで、放送時間までに帰宅しようとか、
テレビの前で待っていようとか。
もう何年も考えた事すらなかった。

テレビで音楽番組を見ていた時の、お茶の間の懐かしさがそこには存在した。XやSNS上の8号車さんの事は直接は知らないけど、テレビの前で同じ時間を共有し、きゃっきゃとしている。

時代や場所は関係ないよね。

音楽やテレビが作るお茶の間は、幼かったあの時の家族団らんとはちょっと形は変わってしまったけど、きっと何十年後、変わらず私は今、この時を思い出し、ノスタルジーを感じるんだろう。


2024年の夏
超特急はたくさんの音楽番組への出演が
続々と発表されている。

次こそは、テレビの前で見たいな。
きちんと施錠した事、
確認して帰宅することにしよう。

わくわくしたこの気持ち抱えて、
きっと、私は弾むような気持ちで帰路につく。

#超特急   #ジュブナイラー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?