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私の考える「ゲームとは何か?」

前置き

こういう定義は数多くなされてはいますが、行き着くところ結局は個人の見解ですね。定義なんて「定義次第」なんで使いやすいと思ったものを選りすぐって用いるものだと思います。
まぁ筆者が書くこと考えることが第一の目的なので読み物としてはそんなもん、くらいで。以下ただの私見、書きなぐりのメモ。


ゲームとは何か?


・ゲームとは「アクション」と「リアクション」である。

なにか行動を起こす「アクション」と、それに付随する反応である「リアクション」がある。それらをゲームとして見なすことができる。

以下詳細。
まず、狭義のゲームと広義のゲームに分ける。

狭義は「遊戯としての『ゲーム』」である。
いわゆるコンピュータゲームやアナログゲーム、遊び、スポーツなど、実際に「モノ」「コト」としてのゲームだ。
実際における具体的なものからボトムアップして区別していくこと、とする。

広義は「定義としての『ゲーム』」である。
「ルール」を制定し「プレイ」を実行すれば何でもゲームである。
ほとんど言葉遊びであるが、狭義にあったような事物を分解して考えるのに視点をずらす意味合いが大きいと思う。
先の狭義と対になる形であり、トップダウンであると言える。


広義のゲーム……便宜上『見なすゲーム』と呼称する。
これを様々なものに当てはめてみる。

・コンピュータゲーム
コントローラなどの入力装置で入力を行い、ディスプレイなどの出力装置で出力する。もちろん入力が「アクション」であり出力が「リアクション」である。
ソフトウェア上のルール(目的、状態の変化)は様々であるが、「結果を表示する」というリアクションの共通項がある。さらにルールは細かく分割され、各種のゲーム内の小ゲームとなる。

・アナログゲーム
状態を表すオブジェクトはあったりなかったりする。
プレイヤーが計算したり、記憶したり、判定したりする。
囲碁・将棋など二人零和有限確定完全情報ゲームもある。
プレイヤーの選択がアクションで、状態の変化がリアクションである。

・スポーツ
身体の動作が物体と空間に影響する。
ルールに制定された時間と状態が目的である。

・人生
行動選択(アクション)が現実の構築(リアクション)である。
面白いか面白くないかは人による。

・宇宙
質量と重力、時間と空間である。(あとそれ以外の何か、かもしれない)
宇宙開闢がアクションであり、それ以降は時間経過によるリアクションである。

・対人
対面してすべての、見た目、動作、会話などが互いにアクションであり、
リアクションである。
面白いか面白くないかは人による。

ゲームの定義としてプレイヤーと観測者が必要かと思われたが、0人ゲーム(ライフゲームなど)や無観測者ゲーム(ボトルメールなど)も成り立つのでゲームとしては必須ではないと考えられる。
リアクションが無いゲームは存在するか? 「反応が無い」ことをリアクションとすれば可能である。アクションが無いゲーム? 「何もしない」を入力とすればOK。


『見なすゲーム』は「ゲームとして見なすゲーム」となっていて自己言及しており、筆者の自己満足ポイントである。

まとめ

見ようによっては何でもゲームとして見立てることができる。
一見リアクションが無いようなものも、プレイの内外におけるコミュニケーションや、自己対話なども含めればリアクションの幅は広く捉えられる。

また、ゲームとして成り立つのに面白さ・楽しさは別問題である。
ゲームはどこまで行ってもゲームだけ、なのである。
面白さは受け手の感情なので、面白い、または面白くない(と個人が思う)ゲームは無数に存在する。各個人の好みに見合ったゲームを色々な視点で切り出していくことが、自己を知りゲームを知ることに肝要なのだと思う。


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