見出し画像

すこし早めのジャッジメントデイ 1 【連載小説】

 僕は歩きながら煙草を取り出す。紫煙をくゆらして周りを見渡す。田舎道。米所で有名なだけあって、この辺はとにもかくにも田んぼが多い。初夏と呼ぶには少し快適な気候であるにも関わらず僕は少しうんざりしながら携帯端末を取り出して電話の機能を立ち上げる。数回のコール。いつも通りの彼女の声。

「状況はどう?」
いきなり仕事の話から始めるなんて。ユーモアのかけらもありはしない。
「僕はいつも思うんだ。きみは量子力学や分子生物学を学んだその労力を人間関係についやすべきではないかとね。」
彼女はつまらなそうな声で、
「人間力云々を語る人の話が面白かったためしはないわ。」
「純粋物理学の話が面白かったためしも僕にはないな」
僕がそう返答すると、
「知性の欠如ね」
バッサリと言い捨てた。
「さておき、先刻の私の質問をいつまでほったらかすつもりかしら…。状況はどうなの。」

 状況。この場合の状況とは何を指すか。物理学と生物学の両方で博士号を取得したエリート中のエリートの彼女がこんな田舎のどんな状況に興味を持つっていうのか(といったら彼女は、「研究者だからと言って出不精だとは限らないわ。偏見もいいところね」などというのだろうが)。答え。全く緑のない田舎道。灰色のカントリーロード。

 これが、僕がうんざりしながら、煙草を吸っていた理由だ。僕は別に田舎が嫌いなわけではない。誰だって本来緑色であるべき初夏の田舎道が灰色に染まっていたらうんざりする。

 植物はその生体内に葉緑体を持っていて、特定の波長の光で励起されたタンパク質やらが水から電子を奪い、電子をバトンタッチで受け渡しながら、還元剤とATP(エネルギー通貨)を作る。それがストロマ内のカルビン回路を回して二酸化炭素を固定する。固定された二酸化炭素は有機化合物として食物連鎖の上位の生物たちに栄養を供給する。何が言いたいかっていうと、緑色がない、つまり葉緑体が正常に働いていない植物はその生体機能を維持できないし、何より僕たちに食べ物を供給できない。いずれこの灰色の植物も形もなくなるだろう。

「状況報告。ここもダメ。」
「あら、そう。残念ね。少しは期待していたのだけれど。ではいつも通りサンプルをとって戻ってきてね。あと煙草は節約しなさい。タバコの葉すら今では税金がかかっていなくても高級品なのだから。」

 僕はその暗澹とした気持ちに拍車がかかったのを感じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?