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屋上のバイオテロ -中編- 【短編小説】

結局まよったあげく、俺はミヤノに連絡を取ることにした。ミヤノが学校に来なくなってから、10日くらいたっていた。もしかしたら、ミヤノは怒っているかもしれないが、まあ、あれでわりに温厚な奴だから、許してくれると思いたい。

俺は端末でメッセージを打った。

『この前は悪かったな』

『最近学校に来てなくて、みんな心配してる』

あまりこういうコミュニケーションは慣れていないから、うまいこと書けていないようなきがしたが、とりあえずメッセージを送った。

しばらくミヤノから返信はなかった。俺は弟に料理を作って、掃除と洗濯をしていた。母の帰りはたいてい遅いので、家事全般は俺の役目になっていた。家事が終わり、勉強を始めて一時間くらいたってから、ミヤノから連絡がきた。

『こっちこそ、悪かったね』

『心配しなくて大丈夫』

『学校に来られないのは、ちょっと家の事情があるだけだから』

心配しなくていい、というのを文言通りに受け取るほど俺は鈍くないつもりだが、だからと言ってミヤノを問い詰めるのは違うような気がした。自分を律することができない人間は他人の事情に首を突っ込むべきじゃない。

そう思って、俺は連絡を返した。

『分かった、また、学校でな』

そして少し迷った後、こう書いた。

『学校来たら、お詫びにコーヒーおごるよ』

勉強がひと段落した頃、俺はコーヒーを入れようと思って台所に立った。するとポケットに入れていた端末が振動した。見るとミヤノから連絡が来ていた。

『なあ、いまから会えない?』

いつもなら、これからあと一時間くらい勉強する予定だったが、俺は外に出るために制服を羽織った。

落ち合う場所は俺の家の近所のコンビニの前だった。ミヤノの家からは少し遠いはずだが、それでもかまわない、とのことだった。

「やあ、トキタ」

ひさしぶりにあったミヤノは元気そうだった。相変わらずのんきな態度だ

「久しぶりだな。元気そうで安心したよ」

俺が言うとミヤノは笑った。

「なになに?心配したのか?ふふ、トキタも意外といいとこあるね」

ここまで元気だと心配したのが阿呆らしくなってくる。

「てかなんで制服?」

ミヤノが訊いてくる。俺は少しむっとして言った。

「金がないんだよ。知ってるだろ。ミヤノだっていつものジャージじゃねえか」

「まあね。ごめん、怒った?」

俺は家に金がないことをコンプレックスに感じているとか、そういうわけではない。

「怒ってない」

俺は言った。怒っていないのは本当だったが、何も感じないわけではなかった。金がないことがコンプレックスではない。だが、金がないとできないことがたくさんあることを知っている。金がなけりゃ、アディダスのジャージだって買えやしない。金がなけりゃ、学校に行くのだって一苦労だ。金がなけりゃ、母さんはいつまでたっても夜遅くまで働くのをやめられない。金さえあれば、全部解決する。

だが、こんな風に俺が思っていることと、ミヤノが金の問題と縁遠い事は別に因果関係はない。当たり前だけど、ミヤノは悪くない。そう分かっているのに、胸の内にはわずかに暗いものが湧いていた。

俺はそれらを振り払って言う。

「それで、今日はどうした?詫びのコーヒーが早めにほしかったのか」

「いや、見てほしいものがあるんだよ。これ」

ミヤノがバックの中から何かを取り出した。

ジップ付きの袋に入った、白い粉。一見して何かの薬物に見えたが、袋を何重にも重ねていることに気が付いて、別のものだと気が付く。

俺は思い当たることがあった。

「これ……」

「トキタの想像の通りだよ」

あんまりのことに俺は頭が真っ白になった。

「おい、それを使って何を……」

「決まってるでしょ」

「本当にテロをするのかよ」

ミヤノはまっすぐ俺を見ていた。俺は頭を抱えたくなった。俺は言った。

「お前は言ってたろ?行動の後に大義を作るって。ただの不満がテロが起きる原因なんだって。自分の行動を後から正当化するだけなんだって。お前には理由なんかないんじゃないのか。そんなに誰かが死ぬのを見たいのかよ」

「トキタ。人間の行動はすべからく後から理由づけされているんだ。お前は確かに立派だ。でも、その立派な信念だって、信念が最初にあったわけじゃない。行動があってそれを正当化しただけじゃないのか?トキタは本当に、今の信念があるゆえに行動したって言えるか?そんなの確かじゃないだろ?それなら、テロリストにだって……私にだって、立派な理由があるってなんで想像できない!?」

コンビニの前だった。ただの日常の風景だった。そして今日は久しぶりに天気がよかったから、きれいな月が出ていた。俺は空を仰いでいた。
なんでこんな話を、一番の友達としなければならないんだろう。

「ミヤノ。お前といつも話しているとき、いくら考えてもお前の気持ちがわからないことがあるんだ」

星は出ていない。コンビニの明かりに、月夜の光は負けじと輝いているように見えた。

「理解しようとしても、どうしたってわからないんだ。だって、お前は俺が欲しいものを全部持ってるじゃないか」

こんな夜に限って、なんでこんなにきれいな夜空なんだろう。

「俺には金がない。家柄だってない。お袋はいい歳していつまでも水商売をしなきゃならないし、弟は体育着だって新しく買えやしない。俺だって制服以外に外で着られる服なんてほとんどない。俺が馬鹿にされる分には何とも思わん。だが、家族を馬鹿にする奴だっている。はっきり言ってみじめだ。いつだって思うさ、金さえあればって。だから好きでもない勉強をしているんだ。お前はそういう事の全部から遠い人間だ。それなのに、いったい何が不満なんだよ?理解できないよ、俺には」

そういった後、俺は言い過ぎたことに気が付いた。

「うるさい」

聞いたことがないミヤノの大声が辺りに響いた。

「自分の正義を押し付けてくんなよ!」

そのまま、ミヤノは振り返って行ってしまった。

ミヤノは一番の友達だ。だけれど、いや、だからこそ俺は自分を抑えられずに言いすぎてしまった。それは多分、ミヤノにとっても同じだったのかもしれない。

コンビニに入って、コーヒーを買った。今更おそいというのに。

9.11の数日後にアメリカ国内でバイオテロが起きた。

犯行に使用されたのはBacillus antheracis、炭疽菌と呼ばれる細菌だった。

炭疽菌はシリカ状にされて封筒に封入されており、それを運んだ郵便局員を含めた5名が死亡、計17名が被害を受けた。

炭疽菌はグラム陽性桿菌で、通性嫌気性の細菌だが、多くのBacillus属と同様に、そして厄介なことに芽胞を形成する能力がある。

炭疽菌は無治療だと致死率が90%に達する。だが、逆にこの細菌は多くの抗生物質に感受性があるから、早期に治療すれば助かる可能性が高い。

ミヤノはいつも炭疽菌の取り扱いは致死性があるから慎重にしなければいけないが、もし炭疽菌に曝露された後は抗生物質を用意していれば助かる可能性が高いと言っていた。だけど、まあ、抗生物質耐性ができることがあるし、あまりむやみに使いすぎるのはよくないけどね、とも言っていた。いかにも呑気な話題だというようにあっけらかんと。

ミヤノが炭疽菌を分離して精製できる可能性はどの程度あるんだろうか?

不安だけが胸に募る。

しばらく俺は鬱々とした日々を過ごすことになった。ミヤノは俺とケンカになった次の日、学校に来たが、またすぐに不登校になった。俺と口をきくのを避けているようだった。

ひとりでいる時間が増えてきてしまった。そして、ミヤノがいないと心底つまらないということがわかった。思いの外、ミヤノの存在は俺にとって大きかった。

だけれど、どうしてミヤノと何事もなかったように喋ることができるだろうか?

再びミヤノにメッセージを送ったが、何も返信はなかった。

何度かメッセージを送ったあと、意を決して電話をすることにした。
しかし電話は不通になっていた。よく一緒に昼飯を食っていたのに、俺はミヤノの家の場所も知らなかった。

昼飯を食っているミヤノはいつも笑ってたはずなのに、それでも思い浮かぶのはあいつが俺に怒鳴った時の顔だった。

5回目の不在着信の声を聞いたときに、俺はミヤノに一度会おうと決めた。俺は家に帰れば家事をやって、勉強をしなければならなかった。端的にいって、それ以外のことをやる時間がなかった。なので、勉強の時間を削るしかなかった。仕方がないので、学校に行っている間は休み時間もひたすら勉強することにした。そして、下校したあと、ミヤノが今何しているかを探ることにした。

まずやったことは、ミヤノと仲がいい奴に最近連絡がないか聞くことだったが、これは不発だった。クラスメイトの誰もミヤノから連絡が来ていないとのことだった。

佐藤にも尋ねたが、答えは他のクラスメイトと同じだった。

「私も何回かミヤノに連絡したんだけどね……。返事が全然ないんだ」

俺は佐藤にミヤノの家がどこにあるか知っているか訊いた。

「いや、それが知らないんだよ。自転車で登校してたはずだから、あまり学校から近くはないはずだけれど」

佐藤は申し訳なさそうな顔をしていた。その同情が少しつらくて、俺は礼を言ってすぐに教室を離れた。

人を探す、という事は素人の手に余ることなんだな。当たり前か、本業の探偵でも手こずることがあるんだから。そう思った瞬間、俺は自分の馬鹿さ加減を呪った。そうだ、学校に生徒の記録があるに決まってるじゃないか。
俺は職員室に行って自分の担任の先生に話しかけた。

「先生」

担任は俺をみて、笑顔になった。成績がいいと教師の笑顔という特典がある。

「おう、どうかしたか?」

俺は事前に考えていた言い訳を述べた。

「先生、最近ミヤノが学校に来てないんですが、実は連絡も取れないんです。なので心配で様子を見に家まで行こうと思うんですが、住所がわからなくて。すみませんが、ミヤノの住所を教えてくれませんか」

俺がそう言うと担任は少し渋い顔をした。

「トキタ、一応ミヤノの家には連絡を取っていて、親御さんからは問題ないと言われている。それに、最近は個人情報の取り扱いに厳しくてな」

そういう答えは一応予想していたので、用意していた返答をする。

「いや、あいつ最近勉強できてないと思うんです。授業ずっと出てないし。せっかく成績良いのに、落としちゃもったいないです。俺が軽くいま授業でやってる内容を教えてやれば、また学校に来る気にもなると思うし」

「そうか……」

担任は渋い顔のまま、だが心なしか納得したように言った。

「分かったよ。学生名簿を見せることはできないが、口頭でなら教えてやれる」

「ありがとうございます」

俺はミヤノみたいに派手な格好をするわけではないので、学費免除と教師の笑顔以外に成績による恩恵を受けたことはなかったが、この時初めて、成績が及ぼす影響を知った。少しだけ、吐き気がした。

担任は俺にミヤノの住所を教えた後、こう付け加えた。

「俺が住所を言ったことは、誰にもいうなよ」

わずかに覚えた嫌悪は消えなかった。

でかい洋館を想像していた俺は、やはり世間知らずというやつだったんだろう。由緒ある家柄、という言葉に引っ張られて洋風のお屋敷みたいなものを想像していた。だが、そこにあったのは塀に囲まれた日本家屋だった。そのギャップを知って、俺は本当にそういう上流階級みたいなものと縁がないんだな、と思った。

ひとまず、塀の周りをぐるりと回って入り口を見つけた。『宮野』と書いてある表札を確認して、インターフォンを押した。少し間があいて、女性の声が聞こえた。ミヤノの声ではなかった。

「はい、どちら様でしょうか」

「突然すみません、僕はミヤノ……マイさんの同級生でトキタと言います。マイさんに学校から配られた書類を渡そうと思ってきたのですが」

「少々お待ちください」

俺は門の入り口で言われた通り待っている間、そういえばミヤノの家には執事がいると言っていたことを思い出した。もしかしたら今の人がそうだろうか。

益体もないことを考えていると、先ほどの女性の声が聞こえた。

「トキタ様。ミヤノは今体調を崩してまして、直接会えません。わざわざ伺ってくださったのに申し訳ございません。お持ちいただいた書類は私がミヤノにお渡しいたします」

ミヤノに渡す書類なんて持っていない俺は困ってしまったが、取り合えず、適当なプリントを渡してお茶を濁すことにした。

俺がわかりました、というと、その女性は少々お待ちくださいといってインターフォンの通話を切った。するとすぐにフォーマルな格好をした30くらいの女性が出てきた。執事ってこんな感じか、と思いつつ俺がプリントを渡すと女性は言った。

「ごめんなさい。実はお嬢様はほとんど部屋から出てきていないんです」

「え」

「食事の時も自分の部屋で食べて、以前より口数も減りました」

女性は心配そうな顔をしていた。

「その、同級生の方がいらしてくれて、私もすごくうれしいです。お嬢様はとても無口でおとなしい方ですから」

ミヤノが無口でおとなしい?俺は信じられないようなものを聞いた思いだった。多分俺は間抜けな顔をしていただろう。俺は思わず言う。

「え、でもあいつ、髪とか青いし、シルバーアクセサリなんかつけてるし、学校でも明るくて友達も多いですよ」

その女性は俺の言葉を意外に思ったようだが、俺みたいな馬鹿面をさらしはしなかった。彼女は静かに言った。

「そうですか……。では家でおとなしいのはお父様とお母様が少し厳しいせいかもしれませんね」

それでは失礼します、とその女性は言った。

「また来てくださいね、お嬢様にも来たことはちゃんと伝えてますから」

そう付け加えるその女性は、同情しているように見えた。

多少の興味深い知見はあったが、状況を総括すると、俺は適当なプリントをミヤノの家の執事に渡しただけだった。

さすがに予習時間を削ってまでここまで足をのばしたのに、これではいくら何でもひどすぎる。

その女性が屋敷に戻るのを俺は呼び止めた。せめて何かの収穫が欲しかったのだろう。

「すみません」

その女性は振り返った。

「はい?」

「えっと、連絡先を教えてくれませんか?ミヤノに連絡しても返事をくれなくて……」

直後、俺は馬鹿なことを言ったと思った。まるでナンパ師みたいなことを口にしてしまった。それにこの女性の連絡先なんて何の役に立つ……。
そう思っていたら、意外な返答をされた。

「少し待って……。はい、私の私用の電話番号です」

メモに手書きで数字が書かれていた。その女性は静かに言った。

「私はただの雇われ人ですが、お嬢様のことは心配しています。何かあれば連絡をください」

その女性は本当にミヤノに同情しているように思えた。もしかしたら、憐憫という言葉の方が当てはまるのかもしれない。

その日、学校は大騒ぎになっていた。

俺が教室に入った時に物騒な会話が聞こえてきた。

「封筒」「白い粉」「先生が」

近くの席の小泉に俺は訊いた。

「何かあったのか?」

小泉は少し興奮気味に言った。

「白い粉が入った封筒が学校に送り付けられたって。宛先がどの先生なのかはわからないけど、とにかく誰かが封筒を開けて、中の白い粉末が辺りに舞っていて、騒ぎになってる」

俺はあの日コンビニの前でミヤノが見せた白い粉を連想した。

「まじかよ」

「担任からは教室を離れるなって……」

どこまで本当かはわからない。

だが、俺はこの出来事にミヤノがかかわっているんじゃないか、と感じた。
それにあの日コンビニでミヤノが見せた白い粉が入った袋。それが俺の憂鬱に拍車をかけた。

本当にミヤノはバイオテロを起こすつもりだろうか?

もしそうだとしたら、最悪だ。

やがて、クラスの担任が教室に戻ってきた。

「今日はすべての授業を休校にします。速やかに帰宅してください。出口は西口の方を使って出てください。決して職員室近くに行かないように」

おそるおそる周囲を伺うやつもいれば、のんきに話ながら帰り支度をする奴もいた。

俺は情報を集める必要があると思い、担任に訊いた。

「何があったんですか」

「悪いなトキタ、まだ生徒には言えないんだ」

「ですが……」

「ほら!とにかく早く帰りなさい」

内心舌打ちをしたが、この調子では話を訊くのは無理だろう。

小泉が不安そうに言った。

「毒でも入っていたのかな……」

俺は何も答えることができなかった。まさかミヤノが炭疽菌を職員室に送ってきたかもしれない、とは言えまい。

その日は素直に帰ることにした。

しかし、俺の頭にはミヤノのあの日の大声がずっと響いていた。

翌日担任から連絡があり、登校禁止を言い渡された。

その禁止令が解かれたのは翌週の頭だった。

学校に行くといろんな噂が飛び交っていた。それらの断片的な情報をくっつけるとおおよそ次のようになった。

警察沙汰になったようだが、結局大事に至らなかった。

中身は小麦粉だか砂糖だか、とにかく害がなかったものだっだ。

それでも教室内は騒然となっていた。

封筒の中には白い粉のほかに一片の書簡が入っていたからだ。

そこにはこう書かれていたそうだ。

『警告』

いよいよ最悪だった。


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