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Hypothetical protein 【短編小説】

「物事には道理があるだろう?」

「どうり?」

「そう。道理だ。例えば今俺が持っている100円硬貨を落とすと速度は一秒あたりにつき9.80665 m/s 上がっていく」

「メートル・パー・セカンド・”スクエア”じゃなくて?」

「一秒あたりを別に明示しているからな」

「それの何が道理なの?」

「道理というのは既知から推測される予測のことだ。つまり数理モデルのことさ」

「ふうん。学校で教えてるやつとはずいぶん違うじゃん」

「学校ではなんと習った?」

「ルールはルール。マナーはマナー。道理は道理。そんな感じ」

「わからんね」

「僕だってわかんないさ。でも要するに『人が歩むべき正しい道』なんだって」

「正しい道ね。再現が難しいな」

「再現できなきゃいけないの?」

「もちろん。皆に道を示すなら再現性が高いものが重視されるのは当然だろう」

「理屈おじさん」

「まだ38だ」

「それでさ、さっき言ってた道理の話。結局なんだったの」

「道理は法則だという話だ。予測可能性と言い換えてもいい。物理学は一番その点で成功した学問だ

「へえ。きょうみない」

「だが、俺が知りたいのはコインの速度や位置でもなければ、光子の位置や存在確率ではない。生物の挙動だ。それを予想したいんだ。そこに道理があるかどうかを

「すればいいじゃん」

「むずかしいんだよ。君は頭脳明晰なくせに物事を簡単にとらえる節がある」

「あんたがもしIQ210だったとして、足し算引き算を延々とさせられてみてよ。そりゃ、なんでも簡単に思えちゃうよ」

「生物の挙動、例えば増殖速度、遺伝子の固定、塩基配列の変異、代謝経路。一部は数理モデルが開発されつつある。だが、そのどれも生物の動きを全部説明することはできない」

「なんで?」

「情報が足りていないんだ」

「この2020年に?情報化社会っていう言葉がでてきてだいぶたつんでしょ?」

「ふふ。インターネットを調べてもかけらも出てこない情報というのはあるものだ」

「例えば?」

「例えば地球上にいる細菌の9割が何かまったく不明だという事は知っているか?あるいは、生物のゲノム情報を見たことはあるか?Hypothetical protein (機能未知のタンパク質) の文字が躍っているぞ」

「そうなんだ。世界に未知なんてないんだと思ってた」

「未知も未知。未知だらけさ

「…」

「どうした?」

「海賊になりたかったって言ったら笑う?」

「笑わないさ」

「僕は海賊になって、誰も行ったことがない場所に行きたかったんだ。パパに話したんだ。海賊になりたいって」

「…」

「そしたら、次の日の朝、パパは地球儀を買ってきた。海賊にはこれが必要だろうって嬉しそうに。だけれど、僕は驚いちゃった。だって、地球儀にはどの場所にも名前が入ってて、空白なんてないんだもの。それ以来、つまんなくなっちゃった。僕が馬鹿だったってだけなんだけどさ」

「この世界には空白がたくさんある。見えないだけで」

「生きるの、あんまり退屈しなさそうでよかった」

「そうか。それは良かった」

「でさ、結局なんで道理を見つけたいの?」

すると彼はこういった。とびっきりの冗談を言う時みたいに。

「道理がないってことを証明したいのさ」

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