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ぼくの専攻など、自己紹介(パブロフのぼく)

・本格的な挨拶を

こんにちは/初めまして、Right brothersのサブ執筆者のパブロフのぼくと申します。

今回は執筆者の一人であるぼくの専攻について書こうと思います。

・生物系の大学院に所属していました

ぼくは地方国立大学の生物系の研究室に所属していました。専攻の分類としては分子生物学専攻ということになると思います。研究していた内容は”魚類の性分化”についてです。

”分子生物学”、”性分化”というワードはあまり聞きなじみがないかもしれません。

”分子生物学”
すべての生命は原子、分子から成り立っており、原子や分子を調べて生命の機能を解明していこう、という学問
”性分化”
受精卵から個体を形成する過程で、雌雄が決定すること

”分子生物学”をもっと簡単に説明すると、生物をミクロな視点で解明していこう、という学問です。”性分化”は少し説明しづらいのですが、卵の時点では”性”は決まってないのですが、体を形成するときにオスになるかメスになるか分かれていきます。この過程を”性分化”と言います。

生物のあらゆる活動をミクロな視点で見てみると、ありとあらゆる分子が存在し、何かしらの影響を及ぼしています。それを一つ一つ調べるのには膨大な時間を必要するほどに。なので生物学(特に遺伝学)においてよく使われる手法として、loss-of-function(機能を欠損させること)とgain-of-function(機能を追加すること)があります。これらは体で働くタンパク質をなくしたり、追加したりすることで体がどのように変化するか観察することで、欠失した、あるいは追加したタンパク質がどのような機能を持っていたか調べる手法です。
例えばベルギーのある地域で伝統的に育てられるベルジャンブルーという牛がいますが普通の牛に比べて、やたらとマッチョです。このやたらとマッチョな特徴(生物学では形質と言ったりします)を遺伝学的に調べてみると、ミオスタチンというたんぱく質をコードするDNA領域に変異があったことがわかりました。そこでミオスタチンが、どうやら筋肉の肥大の抑制をする役割を持ったタンパク質なのだということがわかってきたのです。これはloss-of-functionの一例ですが、このような自然的な突然変異の解析から、あるタンパク質の機能が同定されることは、遺伝学研究においては珍しくありません。ちなみにこのミオスタチンというたんぱく質ですが、ゲノム編集食品として話題に上がっている、肉厚のタイもミオスタチンを遺伝的に欠失させたものだったりします。

何かの機能が欠失している、あるいは過剰すぎるという突然変異を調べてタンパク質の機能の同定などを行うこの手法は、とてもシンプルでそれゆえに有用です。したがって、人為的な方法でこの突然変異を起こす手法も昔から行われています。古くからはX線や化学物質での処理による変異導入、それが、遺伝子組み換えや最近話題のゲノム編集の技術へと続いています。

ぼくは大学院時代はこのゲノム編集技術を用いてあるタンパク質をコードする遺伝子を欠失させて、そのタンパク質が性分化にどのような役割を持っているか調べていました。
こうして目的のタンパク質を持たない生物を作って、調べたのですが、ぼくが調べたタンパク質はどうやらクリティカルに性分化には関与していないようで、先行研究以上の事実を見つけることはできませんでした。

・研究室時代を思い出して

こういった専門的なことを書くと、なんだかすごそうに思えるかもしれません。やっていたことは意義あることだったかもしれません。ただ研究に対する周囲からの憧憬とは裏腹に、ぼく自身にとってこの経験は苦々しいものも多かったです。今振り返ると、ぼくは研究者ではなかった。

上記のことを自分で主体的に決めて事実を積み重ねていっていたなら、あるいは自分自身の研究に誇りを持っていたのかもしれません。しかし、現実には、研究室の方向性は教授が決め、研究対象のタンパク質もすでに決まっており、実験手法も、仮説を実証するための実験にも教授の制約があり、自分が進めたい方向性へ研究を進めることができませんでした。実験器具や機械、キットなどには多大なお金がかかります。資本を投資している以上、それに見合うだけの成果がなければならないので、成果主義は当たり前だと今は思います。しかし、ぼくがなりたかった研究者はただ具に事実を積み重ねていくようなそんな研究者でした。実際は、教授の機嫌を窺いながら言われた実験を行うできの悪い装置のようになっていました。やりたいと思うことがあっても研究室の方向に合わないからできず、興味の種を見失う日々から逃げるようにぼくは大学院を退学しました。退学したこと自体も苦々しさの一端ではあるのですが、一番は自分のしたいことを推し進められなかった力のなさが、苦々しい記憶の大半を占めています。

自分の行ってきた実験手法や生物学、遺伝学については浅く知識として残ってはいますが、その日々を思い出せば、やっぱりぼくは研究者ではなかったな、と感じます。

・教授のことは嫌いになっても、生物学は嫌いにならないで

今ではこういったアカデミックな世界からはだいぶ離れていってしまっているのですが、早雲から生物学の記事を一緒に書いてくれないかと言われて書いています。当時のことを思い出しながら調べながらなんとか書いているのですが、調べながら思うのが、へーすげーとか、おもろーとか、意味わからんとか子供みたいな感想であるのと同時に子供みたいな感動です。人生において多分役に立つことはないだろうと思える知識を集めて悦に浸るその心理的メカニズムには、我が事ながら意味が分からないのですが、生物学の新たな知見を得ることは確かに面白いのです。
ぼくが書くなんの役にも立たない記事で、子供みたいな感動を伝えられたらなんて思います。あなたの人生を1ミリも変えることができない記事、そんなものを書きたい。

・少しずつ勉強しながら書いていこうと思います

私自身はアカデミックな現場から離れていたので、自分の専門を書くにしても、あれはどうだったっけ、あれの名前は~、とか思い出しながらで時間がかかってとてもストレスフルです。なので改めてちょっとずつ勉強しながら記事を書いていこうかななんて思ってます。その中で面白いものが書けたらなぁなんて思いながら、ぼんやりと書いてく感じです。そんなぼんやりした記事が面白ければ、今後もお付き合いいただければ幸いです。

今回は自己紹介ということでつらつらと自分の研究室時代のことを書いてみました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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