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【衆議院議員選挙】うすいりえ(東京6区)を応援してくださった皆様へ。

なぜこれを書くのか

こんにちは。
うすいりえ@東京6区です。
衆議院議員選挙が終わり2週間弱が経とうとしております。
組織票がない中、東京6区の有権者59,490名の方が投票所に足を運んで私の名前を記入してくださいました。
うすいりえに託してくださった方々、ボランティアにきてくださった方々、後方支援くださった方々、
本当に本当に心からありがとうございました。
そして59,490名の方々の想いを背負って国政で暴れられないこと
本当に申し訳なく思っております。
59,490票の重みとしっかり向き合いたいと思います。

本来であれば皆様一人一人に直接お会いしてお伝えしたいところですが
駅に立っても、街を歩いても、街宣車をガンガン回していても、
圧倒的に会えない人の方が多かったのが実際のところです。

どのようにして皆様に感謝の想いを伝えようかと考えた結果
noteを選択いたしました。
会えていない方々に届きますこと祈っております。
是非お読みいただけますと幸いです。

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無謀なチャレンジと言われて

9月15日に公認が決定し、10月19日選挙開始という激動スケジュールでした。
約1ヶ月で体制を整え、存在・政策を知ってもらい、支援を獲得していかねばならない状態。
しかも相手2人は現職の国会議員。
地盤・看板・鞄が整っている
組織票でガッチガチの相手
(選挙が始まる時にはもう勝負は決まっている相手)に
地盤・看板・鞄もない新人女性が挑む構図。
はっきり申し上げて、
【無謀なチャレンジ】これが大方の見方だと思います。

(以下、ちょっと愚痴)
選挙が終わってから関係者の中に
下記のようなデリカシーのない発言をされた方もいます。


「高く評価している。選挙区が良かった。比例票掘り起こしありがとう。」

(私は比例票掘り起こしの人柱になるために今回の選挙戦はやっていませんし、そもそも内部の人から評価されるためにもやっていません。
このデリカシーのない発言にイラッとしつつも、
ああこれが古の政治の世界の人たちね、、、と思いながら聞き流しましたが、今でもイラッとします。笑。)

それくらい、選挙を知っている人たちからすると無謀だったということです。

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なぜそれでも出馬したのか

でも、なぜ、そんなしんどい状況をわかっていて選挙に出たのか。

東京で維新は全く受け入れられていないからやめといた方が良い。
落ちたら経歴に「×」がつく。
お金も無くなるからタイミングを考え直した方が良い。

優しさから上記のように止めてくださる方もいらっしゃいました。
本当に私のことを想ってアドバイスをくださり、感謝しています。

しかし、私が見た政治の世界は
本当に日本の政治は終わっていて化石化しており、
このままの既得権益向け・従来踏襲型・昭和政治を続けている限り、日本が沈没していく姿しか見えませんでした。

あと10年このままの状態が続けば間違いなく、
日本の競争力はどんどん衰え、
世界における立ち位置はどんどん下がり、
ご飯が美味しいだけの労働力も安い、
消費される国になっていくことは間違いありません。
日本(と北朝鮮)だけ経済成長せず、給料も増えない。
海外旅行に行きたくても、高くていけない、そんな日も近いです。
自分が生まれた国であり、
子どもが生きていくであろう日本をこのまま放置して、
イケていない政治を続けていいのだろうか。
という想いを抱きながらビジネス界にいる自分がいました。

私は社会人になってからMBAをとりに行きましたが、
私が学んだグロービス経営大学院では
2年間かけて、
徹底的に自分の志を磨きます。

グロービスをきっかけに、
自分も起業し、
色んな起業家・社会起業家にも出会わせていただきました。
その中で、圧倒的な当事者意識を持っていないと
志なんて達成できないことも痛感していました。

日本の政治が腐っているこの状況を見て、
【家族だけで国外へ逃亡】
という自分の周り50cmだけを考えて
リスク回避の方法も取ることはできます。

しかしあえて難しい方、
【政治を変えていく】方法を選んだのは
圧倒的な当事者意識”これに尽きます。
(【迷ったらタフな方へ!】という恩師:伊藤羊一さんの教えの影響も)

沈みゆく日本を、
日本人として・この後の生きる当事者として、
指を咥えて見ていられませんでした。
「政治がダメだ」「XX党はダメだ」「この政策はダメだ」等と
評論することは簡単なのですが、
文句だけ言っていてもActionする人が増えないと
前に進めることができません。
本気で日本を心配して、本気で政治から変えたいと思っていました。
心から、この想いは現職2名には負けていなかったと思います。

私一人で大きく世の中を変えていくことはできないかもしれないけれども
私がこれまでの当たり前を疑い、チャレンジし、発信することで
社会起業家たちがもっと政治の世界にチャレンジしやすくなったり、
世田谷のアンテナの高い人たちで変化の種を育てて
日本を変えていくことができるんじゃないかと考え、
出馬を決めました。

「できるか」・「できないか」
「受かるか」・「受からないか」
ではない
「やるか」・「やらないか」
全ては自分次第と思って望んだ衆議院議員選挙でした。

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私は一体何と闘っていたのか

今回の選挙で闘っていたものは、
私の中では対立候補2人と闘ったという認識よりも
【従来型の選挙・政治】【組織票】【当たり前】との闘いでした。

VUCA時代と言われて、
何が正解かわからない時代の中で
これまでの成功体験を押し付けてくる空気感。
こうじゃなきゃいけない、というレガシーの価値観。

私がおかしい、と思ったことを貫かないと
後に続く人たちに残せるものがないじゃないか
と思って闘っていました。

毎日、1日中街に出て有権者の皆様との交流させていただいておりました。
有権者の皆様との交流は
私にとっては最大の頑張るエネルギーとなるものでありました。
新しい政治・社会を望む方々の声をお聞きして
自分の中での使命感が高まっていく日々でした。
選挙戦12日間は、徐々に私を認知いただく方も増え
皆様に会いし、お話しできることが楽しくて
また、皆様の想いを託していただくことで背筋が伸びて、
日に日に元気になっていった12日間でした。

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一番伝えたかったこと

【これまでの当たり前】は【これからの当たり前】ではないこと。
これを受け入れていかないと、日本の政治・社会は変わりません。
イデオロギー対立は結構なのですが、
そこに、
「これが当たり前」「これが正解」「こうじゃなきゃダメ」「ルールはこうだから」「こういうもの」...etc
ということに縛られていることがあまりにも多いのが現実です。
そうやっていれば思考停止で楽ですからね。

政治の世界に
既存のルールを疑い、
ルールを作り替える能力(モチベーション)のある人は少ない。
それは片足を突っ込んで、より一層実感しました。
長いものに巻かれていたら安泰だ、という空気感すらも感じます。
ルールすらも疑っていかないといけない、
新しいルールを作っていかないといけない立場の政治家がそれでは、
日本は前には進みません。
多くの企業が悩んでいるのと同様に、
政治の世界もはっきり言って人材不足であると思います。

個人的な希望として、
今後は、変革を起こす人材として
社会起業家や
ビジネスの世界で自分で事業を作ってきた方々が
政治の世界に増えることを祈ります。
今後、個人として、そういった方々が増えるような活動をしていきたいと思っています。

また、組織で票を取りまとめてもらっている
自民党さん・立憲共産党さん
のような既得権益ガッチガチの政治を続けていたのでは
全体最適なルール変更はできません。

そこで日本維新の会の出番なのですが、
東京6区では投票率が60%を超えたにも関わらず
私の力不足で政治家の顔ぶれを変えることができませんでした。

今回、59,490票いただいておきながら、
私の努力不足であと7000票ほど足りず、
比例で受かることもできませんでした。
投票してくださった皆様、ボランティア・サポーターとして支えてくださった皆様には本当に本当に心から申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にごめんなさい。
そして、本当にありがとうございました。

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よかったこと

おかしいことをおかしい!と声をあげて変えていくことに賛同していただけるご投票くださった方々・支援くださった方々と出会えたことが何よりの財産だと思っています。
新しい時代は確実にきます。
確実に小さな小さな変化の種が存在することを確認しました。
組織の票に負けない、無関心に負けない、
そんな希望が今後は持てるのではないかと思っています。

また、
私の選挙を手伝ってくれたボランティアは
全員が政治に関係の無い人たちでした。
どこかから動員をされたわけでもない純粋な友人たち。
我々世代、仕事もバリバリやっている。
子育てにも忙しい。
みんな仕事前後や子連れ・子供を預けてきてくれる大変忙しい方々ばかりでした。

入れ替わり立ち替わり
子どもを連れてきてくれたり、
赤ちゃんおんぶしながら手伝ってくれたり、、、
子育て世代が力を合わせて頑張って成り立ったものでした。
たくさんの人に迷惑をかけました。
選挙ってお願いばかりで心苦しいものだと思いながら
お願いする日々でした。
でも手伝ってくれた方々や演説を聞いてくださった方々から


・うすいのチャレンジを通じて政治と真剣に向き合うきっかけになった
・子どもに親が頑張っている姿を見せられた
・政治界のおかしさを目の当たりにして危機感が増した
・むしろ自分たちの思いを背負って闘ってくれてありがとう!
・他の候補者と違う、手伝っている人も聴いている人も若い世代が多い。政治が変わるそんな気配を感じた。
・自分なら人生をかけて日本のために何ができるか考えさせられた 等

上記のような温かい言葉をたくさんいただきました。
私のいてもたってもいられなかったブルドーザーチャレンジが
何らかの良い影響につながっているのであればこんな嬉しいことはない、と思って思い出しては涙を拭っています。

また、無駄だ無駄だと思っていた一連の選挙活動も(証紙貼りなども含めて)一回はやってみることで、
今後どうしていけば良いかという改善提案をしやすくなったと思います。


反省点


公認から選挙までが都民ファが候補者擁立するだの、
選挙が前倒すだの色々とバタバタと追われ、
選挙までの約1ヶ月の間に十分な事務所体制を構築をできないままに全力疾走をしてしまいました。

体制が整わないまま選挙戦に突入して
色んなことが手が回らない状態に陥ってしまいました。

そしてそんな状況を見て色んな方々が手を差し伸べて助けてくれました。
本当にありがとうございました😭

SNSも遠隔ボランティアさんたちが運営してくれてなんとか皆様に期間中にデジタル情報をお届けできました。
会えない方々への情報発信できたのは単にボランティアの皆さんのおかげです。
演説会の予定変更がリアルタイムにアップされない等もあり、
大変申し訳なく思っております。
やれることはやり切ったと思いましたが、
体制構築の部分は本当に反省点です。

※ このあたりの事件や細かい反省点などは
次にチャレンジする予定の社会起業家たち向けとして
後日に情報をまとめたいと思います。

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NEXT STEP

私にとってこのチャレンジは本気のチャレンジでした。
仕事も全て身を引き、全てをかけて闘いました。

だからこそ
1.5ヶ月という短い時間でしたが、遅れを取り戻そうと
5年分くらいのエネルギーを使った選挙でもありました。
(選挙戦12日間はとっても元気だったのに、選挙が終わって数日は抜け殻化していました。。。)
選挙が終わってからも色々と続き(選挙は終わってからも大変💦)
まだゆっくりと振り返る時間が持てていないというのが現状です。
今ここで明確にお伝えすることはできませんが、
私の志は変わらずですので、
山の登り方については改めて59,490票の重みとしっかり向き合い考えたいと思います。
また報告できる日が来ることを祈りつつ、、、
最後の挨拶とさせてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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