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『夜と霧』

私はこの不安が長いこと解決せずに悩む中で、この制限を抱えながら精神的に楽になれる方法はないかと色々考えてきました。

先日思いついて、ユダヤ人精神科医 V・E・フランクルの『夜と霧』を再読しました。強制収容所に捕らわれ過酷な生活に耐えて生還した医師の体験記です。

読んだ後かなり落ち込んだので、読むならNHKの「フランクル 夜と霧」という名著を紹介する本の方がいいかもしれません。

この中で、収容された人たちが最も重苦しく思うことは「いつまで収容所にいなければならないかわからない」ということだとありました。

収容所にやって来た時には、収容所がどういうところなのかわからないという未知は終わるけれど、その瞬間に「終わりの未知」がやってくる。

この(囚われているという)仮の存在形式の終わりを見極めることができないと、人は目的に向かって生きたり、将来に向かって存在することができない。

そうして自分の未来を信ずることができなかった人間は心理的身体的に弱って行き、帰宅できるのではという期待が高まるクリスマスの後などは、亡くなる人も多かったのだそうです。

顔認証システム不安症のことを考えると、よくあてはまるように思えます。日々の生活が辛いだけではなく、いつ終わるのかわからないことが絶望感を強くします。

ざわざわ感が落ち着いて終わったかもと思っても、またざわざわ感が強まるとひどく落ち込みます。そして未来に期待を持てず不安ばかり思い描き、現在の自分を否定し、過去は良かったとばかり嘆いている。今を生きていません。

フランクルは「未来の目的に向かうこと」が大事だと言っています。フランクル自身は収容される直前まで書いていた原稿を仕上げようと、紙切れを拾って書きためていました。ある人は仕事の続きを、ある人は外国にいる子供の会うことだったりしたそうです。

何の目標も持てず、「人生に期待できない」という人には、問いをコペルニクス的に転換してみることが必要だと言います。「人生に期待できなくても、人生は何を我々に期待しているか」が問題なのだと。

「この問題を解決する」「相手を訴える」ことが目標の人もいると思いますが、それが現実的に可能であるなら良いと思いますが、自分の力でどうなるものでもないのなら、この問題を少し横に置いて、自分でどうにかできる未来の目標や楽しいことに目を向けてみた方がいいのではないでしょうか。

強制収容所のような生死に直結する過酷な状況でも、人は相手を思いやったり、美しいものを見ようとしたり、ユーモアを楽しむこともできたそうです。私たちは、収容所にいるわけではないので自由です。心が収容所に囚われたようにがんじがらめに生きる必要はないのです。

私は、長年、この問題がなくならなければ幸せな状態になれないと思っていたのですが、最近、その白黒思考をやめると楽になれるとわかりました。実際に損害(誤認で捕まえられたり)があった時に対策がとれるだろうから、ざわざわな感じがするだけで、自分の人生全てを否定する必要はないと最近思えるようになりました🍀




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