【菜根譚_前014】世間の"はかり"に振り回されていませんか?
今回は「平凡な生き方の中に道がそなわる」。
-- 世間の"はかり"に振り回されていませんか?
というお話です。
■この章のメッセージ
名誉や利益などに惑わされない人は至人である!
世間で言われる一流のイメージ(名誉、お金、事業、仕事)に
合わせることが全てではない。
自分の判断基準をしっかり持とう!
■あらためて「平凡」について考えてみる
明けましておめでとうございます。
本年も日々の学びや気付きを記事にしたいと思っていますので
どうぞよろしくお願いいたします!
さて本日のお話。
先日の7章と重なるところも多い章となっております。
・。♪*+o 【菜根譚_前7章】の記事はこちら・。♪*+o
-- 至人とは平凡な人である。
ここでいう平凡とは、とても良い意味で
▷こだわりをなくせる人
▷偏らない生き方ができる人
良い意味で!と前置きしても「平凡」って
褒め言葉に聞こえないから不思議ですよね。
「平凡」を改めて調べてみると
平凡とは...
・ありふれたこと
・これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと
・並なこと
平凡の反対語は非凡で
非凡な作品、非凡な才能など、褒め言葉で使われることがメインです。
そもそも"ありふれた"とか"並"とか
何を基準に判断しているのでしょうか?
それは...
世間のはかりと言えるかと思います。
-- 一般的な人より地位が高い
-- 一般的な人よりたくさん給料をもらっている
価値観の多様化が進んでも、
まだまだ世間的なはかりのようなものは
根強く残っているように感じます。
世間の価値観(名誉、お金、事業、仕事など)に
合わせることが全てではないので、
▷仕事はほどほどで、子どもとの時間を大切にしたい
▷副業に力を入れていきたい
など自分のはかりを定義すると、
生きやすくなるように感じます。
■「菜根譚」の筆者・洪自誠はどういう人生を歩んだのか?
「世間のはかりに振り回されるのはよくない」と語る洪自誠。
自らはどういう人生を歩んで来たのかというと、
実際名誉やお金は自分から捨てた人だったようです。
洪自誠が生きた時代は、
内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明から清にうつる過渡期。
洪自誠はそんな明王朝のエリート官僚として過ごしていました。
官僚試験は、膨大な儒学の本を暗記するなど超難問。
そんな試験を頑張って突破したにも関わらず、
待ち受けていたものは既得権益を固守する派閥闘争でした。
その世界に嫌気がさして引退。
そして引退後に執筆をはじめたのが「菜根譚」になります。
恐らく家族からは大反対されたでしょうし、
周りからは割り切って頑張れ!などと言われてきたはずです。
世間のはかりを優先させて
官僚の座にしがみついていたら、
400年以上読み継がれる「菜根譚」が
誕生することはなかったかもしれません。
家族がいると夢ばかりを追っている訳にはいきませんが、
人生は有限。
▷自分が大切にしたいことを定義する。
▷家族で大切にしたいことを定義する。
まずはそこからはじめてみると良いのではないでしょうか。
■原文と訳文
人と作(な)りて、甚(なん)の高遠の事業なきも、
俗情を擺脱(はいだつ)し得ば、便(すなわ)ち名流に入る。
学を為して甚(なん)の増益の功夫(くふう)無きも、
物累を減除し得ば、便(すなわ)ち聖境(せいきょう)に超ゆ。
<訳文>
平凡な人間に生まれて、特別に高尚な事業や仕事などしなくても、
ただ名誉や利益などの世俗的な欲情を払い除くことができれば、
それだけで一流の人(=至人)と言える。
また、学問をするにあたって、特別な学識を増やす努力をしなくても、
ただ世の中のわずらわしさや世俗にとらわれる心を減らしのぞくことができさえすれば、
それはもう聖人の境地に到達できたと言える。
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*わたしが参加している勉強会はこちらです!
*参考文献
菜根譚/洪自誠 著・中村璋八、石川力山訳
菜根譚コンプリート/洪自誠著・野中根太郎 訳
ポケット菜根譚/洪自誠著・祐木亜子訳(致知出版社)
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