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進歩し続ける技術との付き合い方

私たちが生きている世界、あなたはどのように表現しますか?
安全な社会、便利な社会、いや、不平等で不条理な社会、退屈な社会、先行き不透明な社会、etc.
どのような形容詞を用いるかは、社会のどの面に着目するか、そしてあなたがどのような社会的立場にいるかでだいぶ変わってくると思います。
今回は私たちの身の回りにある「便利さ」に着目して、考えたことを紹介します。

技術開発、進歩のおかげで私たちの生活様式は日々変化してきています。今やほぼだれもが、半年後、数年後は今よりももっと優れた商品が開発され自分たちの生活はより快適になるだろう、という考えを疑わないでしょう。
携帯電話の高機能カメラを使えば今やだれもが高いクオリティの写真が撮れる
人間の代わりに部屋を掃除してくれるルンバ
質問をすれば答えを教えてくれ(なんでも?)時には話し相手にもなってくれるアレクサ
私ももちろん技術進歩のいくつかの恩恵を受けながら、日々を生活しています。

しかしそれと同時に、不気味な感触が私を襲っています。
「わたしたちは誰と(何と)生活をしているのだろう」「日に日に便利になっていく世の中だけど、私たちはなにか失い始めてはいないか」…。


もちろん各企業が市場での生き残りをかけて日々技術開発をしているのは十分に理解ができる。でも同時に、私たちが機械、技術に動かされている、そんな感覚を持つ瞬間が時々あるの。
どこまで進歩させれば人は満足するのか。

例えばアルゴリズムのおかげで、いとも簡単に好みのジャンルの中の新しい音楽・アーティストを見つけることができる。
携帯のカメラで撮った写真にフィルターをかけ、トリミングをし、修正をかければ、いとも簡単に完璧な写真の出来上がり。
スーパーに行けば、もう出来上がったお惣菜がずらり。パスタソースなんて山ほど売っている。
SNSを開けば、友人が今最近何をやっているのか、どのような様子かわかってしまう。

今や、何をやるのも、ある程度の結果を得るのは、昔より簡単になった。技術の進歩のおかげで。でも言ってしまえば、最小限の努力でそれを手に入れることができている今日この頃。それを善と捉えるか悪と捉えるかは人それぞれ。
技術進歩のおかげで、最低限の努力で足りてしまうので、人は考えることや自分で探してみること、挑戦してみることを制限されている、という見方を私はしてしまう。そしてそんな状況では何が起こっているか。失敗する機会を逃してしまっているかも。
各々が失敗をして、それから学んで人って変化していく、そして各自のあじ・魅力を身にまとい始める。しかしこの時代、技術によって規定された枠組みの中でしか生活できていない、へたをすればみんなが同質化していっていると説明することもできるかもしれない。

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そしてもう一つ強く感じるのは、技術の発展が、私たちをより個人主義の生き物に変え、日常生活の中の交流を減らしてしまっているということ。私たちの手の中にある高機能をまとった機械やアプリケーションがそれはもう魅力的だから、それに時間を費やしていく日々。
例えばSNS上の友人の様子って、本当に真の姿?もちろん一部なのは明らかだし、多くの場合、SNSというのは私たちの日常の最高の瞬間を切り取っているか、美化されたものが上がっていることが多い。だからSNSを通して人のことなんて分かりっこない。
私は、何か人間らしさがどんどんなくなっていってしまう、そんな気がする。技術って良い面もあるけど、人間を非人間化して、同質化してしまう凶器でもあるってことも言えるのではないかな。

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とっても悲観的な考察になってしまいました。しかしもちろん、日々進歩している技術のおかげで時短でき自分の時間をより持つことができている、技術のおかげで光熱費が浮いている、など利点もありますよね。先日、技術の進歩について話を切り出した友人に、ここまで書いてきたような考えを伝えたら、「たーしかに一理ある、けど技術の進歩の恩恵を受けることがなにも悪いことではないし、実際はあなたも受けているよね。大事なのは、技術は度を越えると・使い方次第では、人間を阻害するものになってしまうということを人間が自覚しておくことだ。」
そうそう、要は進歩し続ける技術・機械との付き合い方を考えるべきだなと思うのです。


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