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あっという間の遠回り人生 3

夫は表向き世間一般にいう真面目な人。
実は、独身時代と生活パターンを変えない、家事育児にとっても非協力的な男でした。残念❗(笑)
(夫個人の為だったけど)パソコンを買ってくれたことには心から感謝🙏
素敵よ、だありん💕
(夫に秘密で)パソコンをカチッと電話線に繋いだ日から、目の前の世界がどんどん変わっていきました。

くたびれ主婦からアクティブオタッキー(?)へ

趣味も価値観も合わない夫。育児はワンオペ。

長男が1歳を迎える前に、当時住んでいた地区で評議員・運営委員・班長と3つの役がたまたま回ってくる年に町内会の役員になりました。
会議に行く日は、夫が帰って来る前に、長男を入浴させ、夕食を準備し、布団を敷いて、食べて寝るだけにして出掛けてました。
会議は月に役の数(3回)以上あり、特に評議員会は深夜まで続くことが多く、日付が変わることもありました。夫は、
「なんでこんな遅くまで掛かるんか?!」
と、私に文句は言っても、1度も会議には出てくれませんでした。
夫は、町内や幼稚園、学校の行事なんかは、「女性が出るもの・やるもの」と決めつけていました。
私は、「離婚」の二文字を頭に浮かべない日はなくなっていました(笑)🤣

夫は、「(資格取得のための)勉強しに行く」と言っては、休みの日は早朝から1人で出掛けて行くことが多かったのです。休日出勤の代休もいつ取っているのかほとんどわかりませんでした。(今もわからないけど)
勉学に励むことはいいことです。彼の学習が全く無駄だったとは思いませんが、結局、沢山の参考書や通信教育の教材を購入しても、その資格を取得できませんでした。
私も挫折したものが数多くあるので、彼が資格取得できなかったことについては、責める気も笑う気もございませぬ。
例えば、私が就職してからの話ですが、学校行事等で仕事を休んだりするの、アンタも代休使ってできたんやないか~い!と、思うワケです。

ただお断りしておきますが、夫には夫の言い分、私に対する不満はた~っぷりあるのは間違いないのです。私は良妻賢母ではございませんから。
よくもまあ、こんな家事にガサツで不器用で大雑把な女と長年連れ添ってて、別れる気にならないものです。
私だったら、こんな女房は絶対に嫌ですww(下記漫画参照)
はっ!Σ( ̄□ ̄;)
ひょっとすると、実は夫はものすごく忍耐強い立派なお方なのかもしれません。ありがたや、ありがたや🙏✨

当時の趣味のWebサイト 2004年9月14日掲載
自分の恥となることも話のネタにする性癖あり(実話)

救世主?!ノートパソコン&インターネット

1998年の初夏、夫の会社にパソコンが導入されることになりました。
夫は、「使い方がわからんと恥ずかしい」と焦り出し、Windows 95のノートパソコンを購入しました。
Windows 98が発売される直前のことです。
今では信じられないことですが、30万円近くで2.1GBのHDDでした。

「インターネットはせんよ!」
と、夫は頑なに言い続けました。
「じゃあ、何の為のパソコンよ???」
私としては、せめてプリンターを買って、年賀状をパソコンでシャカシャカと楽に作れるのを夢見ていましたが、その夢さえ「却下」でした。
結婚以来、年賀状は作成も印刷も私の仕事になっていました。
当時、年賀状200枚ほどの印刷は、ワープロのカラーリボンカセットでは、何時間も掛かっていたのです。

夫は、パソコンの電源を入れてもソリティアしかしていませんでした。
私は、本屋でパソコン関係の月刊誌をいくつか買って読み、ExcelやWordを使ってみたりしました。
Windows 98へのアップグレードも私がやりました。メモリ増設もしました。
結婚前、職業訓練のコンピュータ専門学校で3ヶ月だけでも学習していたので、タイピングをかな入力からローマ字入力に切り替えて覚えるのも楽でした。
もうパソコンを触るのが面白くてたまらなかったのです。

そのうち自分の好きなアーティストの情報をインターネットで調べたくなりました。
主人とは音楽の趣味も合わず、TV番組の好みも違います。「笑い」のツボというか「笑える」ポイントもちょっとズレています。
結婚後、TVで音楽番組も観なくなり、音楽雑誌も買えず、CD店にも行かなくなっていました。ずっと欲求不満が溜まっていたのです。
しかも、情報を得たいのは活動を休止してしまったアーティストのこと。
ある日、とうとう我慢できなくなり、こっそりパソコンと電話線を繋ぎました。
ピ~ヒョロロロロロ~ビゴ~ンビゴ~ンビゴ~ン……(回線がつながる音)
そこから、私の人生がガラッと変わったのです。

ネット仲間とのオフ会参加(33)
(うさぎの着ぐるみはネット仲間からの贈り物)

先生はネット仲間

夫は工業高校の機械科だったのに、全くのアナログ人間、メカ音痴。
元々コンピュータは私よりも触ったことがありませんでした。
兄はITの専門家ですが、忙しそうでゆっくり話す機会がありませんでした。
なので、気軽に相談できるネット仲間との出逢いはとても衝撃的でした。

当時、Windowsのデスクトップの「msn」のアイコンをクリックすると、MSN(The Microsoft Network)の初心者向けの「newcomers」というニュースグループ(ネットニュース:電子掲示板型情報サービス)に誘導されてました。
そこには、既に数年前からの日本全国の人々のネットワークが出来ていました。ほとんどの人が、その中の仲間の誰かに実際にオフ会で会って知っている、という状態でした。
ちょっと変なことをしようものなら、みんなから総攻撃を受けかねない雰囲気もあって、それがかえって安心出来ました。
その場に「荒らし」が全然ないわけではありませんでしたが、本当にいい時代だったと思います。

そこで、HTMLやホームページの作り方、無料掲示板の設置、イラストソフト等、色々なことを教えてもらいました。
彼等の存在がなければ、今日の自分はないと思います。

みんなのやることに刺激を受け、自分もパソコンに外付けHDDを繋いだり、内臓HDDを交換したりもしました。
挙句の果て、色々なものを接続して「動かせないノートパソコン」になってしまい、
「俺のパソコンを滅茶苦茶にした!💢」
と、夫が激怒してしまいました(笑)
でも、HDDが2.1GBしかなかったので、外付けHDDは必須だったんです。
当時の私は、SEの兄に「俺はお前ほどオタッキーじゃない!」と言われたほどでした。そう言われて実は密かに喜んでいました(爆)

ADSLにした頃から夫もインターネットを使うようになり、プリンター購入も許してもらいました。
でも、夫をどんなに誘っても、ネット仲間の中に入ることは拒まれました。
その代わり、私がオフ会へ参加することには文句も言わず、
「行っておいで」
と快く送り出してくれました。とてもありがたかったです。
その代わり、オフ会でも、飲み会でも、町内会でも、PTAでも、夜に外出する際は、子ども達の入浴を済ませ、ご飯の用意をして、布団まで敷いて出掛けてましたよ。

福岡や佐賀でのオフ会には何度も参加しました。14年前には、京都まで飛んで行きました。
子ども達を連れて参加したことも何度かありました。

残念ながら、MSNのニュースグループのサービス自体は、1999年12月31日で終了しました。
その後、一部の人は、個人の方が作った「濱鯖」と仲間内で呼ばれたニュースグループへ移り、その後はmixiへと移り、またそこからFacebook等のSNSへとバラけていきました。
四半世紀過ぎても、未だにずっと繋がっている人達がいます。
長年連絡取ってなくても、声を掛ければ「おお、久し振り!」と言い合える気さくな人達ばかりです。とてもありがたいことです。

三兄弟も花見オフ会に参加 長男(7) 次男(5) 三男(1)
お兄さんお姉さんに可愛がってもらいました。(ネット仲間撮影)

時代に置いてきぼりになったWebページ

四半世紀前、お遊び程度ですが、HTMLと簡単なJavaScriptで自分の趣味のWebサイトをつくっていました。
システムエンジニアの兄がそれを見て、それをビジネスに繋げろ、と言ってくれましたが、私より知識も技術もある人を沢山知っていたので、私には無理だと笑い飛ばしました。
「そうだな、これをビジネスに繋げられるかどうかで差が付くんだよな。」
兄がため息混じりに放ったその言葉が、長い年月私の身体に突き刺さったままでした。

そんな中、フルタイムの仕事やPTA活動、日々の家事に忙殺され、そのサイトは長年放置状態になってしまいました。
数年ぶりに見てみると、レイアウトがあちこち崩れていました。
私がWeb制作から離れている間に、ブラウザもWebのプログラム言語も大きく進化していたのです。

そのうち、そのWebサイトを置いていたinfoseekのホームページサービスが終了し、私のお遊びのWebサイトは消滅してしまいました。

それで、いつか本格的にWeb制作の勉強をしたい、とずっと思っていたのです。
でも、実際に本格的に勉強できたのは、それから10年以上も後のことでした。

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