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創作大賞と初めての小説

子供のころのように夢を見た

創作大賞なるものの存在を知ったのは、傲慢と善良の読書感想文を書き終えた5月の下旬頃だった。

noteのアプリを触っていて、黒いアイキャッチ画像が目に止まり「創作大賞って何やろ?」と何気なくクリックした。

そこには、生活の中で一度は目にしたことや、耳にしたことのある21のメディアのロゴと共に「書籍化・映像化のチャンス」という文字が記載されていて、私は食い入るように応募要項を見た。

そして、私は創作大賞の応募要項を見ながら、ふと小学6年生の時に夢見たことを思い出していた。

中学校にあがる間近の私が、当時よく読んでいたのは村上龍さんの13歳のハローワーク。
ほっこりする可愛いイラストともに、さまざまな職種が紹介されたその本を見ながら、大人になったらどんなお仕事をしようかな?と考え、ページをめくる度にワクワクして未来の自分をイメージしていた。

その当時の私が興味を持った職はいくつかあって、そのひとつが作家だったがその本では”作家は最後の職業”と書かれていた。

『作家から他の仕事に転身することはできないから、他の職を体験してからでも遅くない』と書かれていて、当時の私は作家はいつでもなれるんだ!それなら…まずは何をしようかな?なんて思いながら、いつの日か自分が書いた本が書店に並ぶことを夢見ていたことを創作大賞の募集を見て思い出した。

参加してみようかな。
私にも、チャンスがあるかもしれない。


募集要項を読み終えた後に、小さな希望の炎が心に灯ったことが何より私は嬉しかった。

長年何をしてもこれといった成果をあげることが出来ず、右往左往しながらずっと胸を熱くするような”やりたいこと”を探し続けてきた。

音楽だったら、絵だったら、デザインだったら、ビジネスだったら…とさまざまなものに手をつけては、”なんか違う”んだよなと感じて中途半端な状態で諦めてきた。

”なんか違う”

そんなあやふやな気持ちを誰もがきっと一度は思いながらでも、生活の為だったり、家族や子供の為だったり、理由はさまざまであろうが投げ出さずにある程度は継続していくのだろう。

けれど、なんか違うと思ったまま続けられる精神力を持っていなかった私は「コレだ!」と思うものを探し続けて、やっと見つけられたものが「創作大賞への応募」だった。

学生時代や20代の頃は漠然とした夢や目標を持ち未来に胸を膨らませていたけれど、いつしか生活に追われ、今月のこと、今週のこと、今日のことばかりを考えるようになっていた私にとって、創作大賞の内容は「夢」そのものだった。

小説を書いたことすらなかった

文章を書くことは昔から好きだった。

学生の頃はノートにセリフだけの物語を書き、携帯電話を持ってからはブログを書き、音楽を始めてからは歌詞なんかも書いてきた。

でも、ここ数年はSNSで近況報告を書いたりする程度で、文章を書く機会はめっきり減ってしまっていた。

そんな中で、久々書いた長い文章がオンナ35歳の恋愛観。と傲慢と善良の読書感想文だった。

この2つの文章を本の虫である妹に見せると、「姉びいきが入っているかもしれないけれど原石だと感じる」と彼女は言った。

その一言を聞いて「もしかして文才ある!?」と私はまんまとその気になってしまった。調子づいた私は妹に、創作大賞のエッセイ部門と恋愛小説部門の2部門にエントリーしようと思っていることを伝えた。

すると、

「何年も文章を書いている猛者たちがいるだろうから入賞さえ難しいんじゃない?」

「まして二部門なんて無謀すぎる」
「まずは下の賞から狙ってみたら?」

と言葉が返ってきた。

身の程を知れと言われたようでショックだった。

確かに妹の言う通り、現実は甘くないだろう。

それでも、やってみないことには何も始まらないじゃないか。せっかく胸が熱くなるような目標が出来たのに、やらない理由を並べたらいくつだって出てきてしまう。

小説の書き方もエッセイの書き方も全然わからない。エッセイってそもそも何?ブログとの違いすらその時はさっぱり分からなかった。

でも、「やってみたい」「文章をかきたい」「挑戦してみたい」そんな思いが胸の中に溢れて私は動き出さずにはいられなかった。

現実はそう甘くない

小説を書こうと決めたけれど何から始めていいのかすらわからなかった。それに、高校を卒業してからは何故だか分からないけれど、意識的に小説を遠ざけていたから参考になるような知識もほぼなかった。

そんな私は、まず読書家の妹や友人におすすめのエッセイ本や小説を借りた。自分でも本屋に出向き、気になる本を買ってみた。

数十冊の本を借りたり買ってみたけれど2~3冊読んだ後に、全部の本を読み終わる時には応募締め切りを過ぎてしまう。私は一体何をしてるんだ!と自分のあほさ加減に気づき、舵を切りなおした。

今から私がどれだけ知識をつけようと本を読んだところで、数年、いや下手したら数十年本を読んできた人の知識量に敵うはずなどない。

今できることは、きっと要点をおさえることだと思った。そして、今自分が持っている経験や知識をフルに活かすこと。そこからは、要点をおさえるために、小説の書き方という本を買って読んだ。

その本によると、どんな小説にするか内容を考え、プロットなるものを作り、そこから文章を書いていく。そのことだけを頭に入れて、ただひたすらどんな作品を書こう?と何日も悩み続けた。

エッセイの内容が決まったのは7月の2週目。
小説の内容が決まったのは7月の3週目。

妹の意見は正しかった。何にもわかっていなかった。私はエッセイの応募ができなかった。

初めての小説作り<準備編>

小説の大枠が決まったのは、応募締め切りの1週間前。

そこからはまずはキャラクターの人物像を事細かく作っていった。実在する人間をモデリングし、名前や誕生日、好きなものなども設定し、過去や選択基準なども決めていった。

頭の中では映像が流れていたので、俳優さんや女優さんをキャラクターごとにあてがい、頭の中のイメージの解像度をよりあげていった。

それから年表を作ったり、時系列を整理したり、キャラクターたちが動くお店内の間取りや地図なんかも書いた。

キャラクター設定や舞台設定をしながら、村上龍さんがなぜ最後の職業だと言っていたのか少しわかったような気がした。なぜなら、キャラクター設定に私は人生経験をフルに活かしていたから。

人物像のプロフィールを作る際には、水商売のお客様管理ノートの経験を。キャラクターの性格などを決める時には、人間関係に悩んでひらすら心の事を研究してきた知識を。間取りを書く時には、不動産屋さんの営業時代の物件の情報を。地図を書く時には、デザイナーの頃名刺を作らせてもらった経験が活きていた。

キャラクター設定をしながら失敗ばかりと思っていた人生は、本当は全部意味があったことかもしれないと自分の過去を肯定せずにはいられなかった。

キャラクター設定が出来たら、すぐにプロット作りに取り掛かった。

子供の時に習った起・承・転・結をひたすら意識して、どんな風に物語が展開していくのか大枠を書いていったらB5ノートが13ページ。

プロットを作りながら、もっともっと細かい設定や仕掛けを入れて、読んで下さる人が「あ!あの時のこれ!」って気づくような仕組みを作りたいと思った。

けれど、私には時間がなかった。細かな内容を決めていきたい気持ちをぐっと抑え大枠だけのプロットが出来上がったのは、応募締め切りの5日前の真夜中だった。

初めての小説作り<執筆編>


いざ、文章を書いていこう!とスマホを握りしめたのは20日。noteの画面を開き、いざ文字を打ち込もうとしても一文字も言葉が浮かばなかった。

プロットを作り画面にさえ向かえば少しは書けると思っていたから、その事実に自分の詰めの甘さと現実の厳しさを感じて仕方なかった。

書けなーい!と叫んで突っ伏して寝てしまいたいところだったけれど、締め切りまで数日しか残されていない私にそんな暇はなく、決まっている文字だけをまず打ち込んで行くしかないと「あらすじ」「プロローグ」「第一章」とだけ入力することから始めた。

その後は、第一章の導入の言葉をひねり出すため数十冊の本をひたすらペラペラめくった。情景描写から入る?セリフから?それとそれとも…とピンと来るものを探してひたすらペラペラめくった。

そんな時に目に留まったのは「なぜ」という言葉だった。そうだ!これだ!と思って書き始めるとそこから少しだけ文章を書きだすことが出来た。

主人公に命が宿ったように感じて、なんだか嬉しかった。

その後はひたすら、書いては止まり、考えては書いて、また止まっては考えて、頭の中にあるイメージに合う言葉をひたすら考えた。

その時間が、楽しくて「もっともっと書きたい」って気持ちが湧き続けて子供のように何時間も夢中で書き続けていた。

気づけば朝を迎えていて、体力の限界を感じて少し眠りについた。そして、家の用事を済ませ今時点で書きあがった文章を読み返すと”なんか違う”がやってきた。

この時点で、計画の10分の1しか進んでおらず次に進まなくちゃ絶対に書き終わらないと思っていたけれど”なんか違うものは、違う”でしかないから、スマホで書くのをやめてPCの前に座って”なんか違う”を書き直していった。

ひたすら書き直して出来上がった文章は全体の10分の2。時刻を見ると22日の朝9時だった。

体はどこもかしこも痛くてたまらないし、眠気だってピーク。頭がぼーっとして自分が何を書いているのかすらわからなくなってしまい3時間仮眠をとることにした。

仮眠から目覚め、少しすっきりした頭で考えた。どう考えても応募締め切りまでにすべてを書ききることは物理的に不可能だし、1から短編小説を書くのなんてそんな能力も持ち合わせていない。どうすればいいだろうと。

大切なことを見落としている気がして、滝行のようにシャワーをひたすら浴び続け自問自答を繰り返した。

冷静に考えるんだ理海月…。
事実をまず並べてみるんだ…。

私には時間もなければ、猛者たちのようなスキルも知識量もまだない。やれることをひたすらやるしかない。

大切なことはなんだ…
大切なことを思い出せ理海月!

まず達成せねばならんミッションはなんだ!
…応募を完了すること。

応募要項はなんだ!
…2万字以上14万字まで。あとはハッシュタグをつけたり色々…。

色々ってなんだ!
…明確にわかってないかも。

これだ!

と思って自問自答を終えて風呂から飛び出し、すぐさま応募要項を何度も読み返した。
そして、見つけたのがこのQ&Aだった。

Q. 未完成の作品でも応募できますか?
A. 応募できます。
ただ、応募期間は3ヶ月あるので、ぜひ完結するまで執筆してみてください。
未完成の場合でも、応募要項を満たしていれば、審査を通過する場合もあります。

応募要項を満たしていれば、審査に通過することもある!!!これに賭けるしかないと思った。一世一代の大博打を打つしかないと。

それから応募要項をくまなくチェックした。
23日の23時59分までに指定ハッシュタグをつけ無料記事として公開設定をすること。続き物の場合は、その記事のURLリンクを貼ること。

そうか!

とひらめき小説の内容を再度整理し始めた。
小説の全体の構成をもっともっと大きな枠組みで見てためにじっとノートを眺めてみると大きく3つに分けられると思った。

第1章、第2章、最終章に分けて投稿すればいいんだ!後のふたつは執筆中ってことにして、リンクだけを貼ればいい。なんともアウトローなアイディアを実行することにした。

第1章で深くは掘ってはいけないけれど、大筋の登場人物を描き、舞台設定、ラブロマンスが始まる匂いを少し感じてもらって続きがどうなるのだろうと思ってもらうしか、もう方法はないと思った。

そんな能力が自分にあるかなんて分からないけどやるしかなかった。私の中に数年ぶりにやってきた夢なのに足掻かずに諦めるなんてできなかった。小さかった希望の炎は、この時にはごうごうと燃え盛っていた。

***

それから煙草を買うため近くのコンビニまで歩いていたら、急に記事に添える画像イメージが頭に降ってきた。フォントイメージ、カラーリング…もやっとしてはいたけれど急に降ってくる時は「未来の自分からのお告げ」という謎ルールを設けている私はすぐさま仮採用した。

その時イメージしていたタイトル画像の完成品


家に戻ってからは時間との勝負!
ひたすら書いて書いて書きまくった。

途中ゾーンに入るような感覚になり、登場人物たちがまるで勝手に動き出しているような感覚なってぽんぽんと文字が浮かんで不思議だった。

それに書いている最中だというのに、「もっともっと書きたい!こんな日々が毎日続いたらいいのに」と、何度も思っていた。

後半なんて文章を書きながら登場人物の気持ちを想像し言葉にする度、感情が溢れて涙を流している自分がいてこんな風になりながら作品を生み出せるなんて幸せでしかないなと思った。

最後の一行を書き終えた時、時刻は22時30分だった。プロローグもあらすじも書けちゃいないし、タイトル画像だって出来ちゃいない。

プロローグで表現しないといけないことは2つだったからそこだけに全集中して、書けるだけ書くしかなかった。もっともっと書きたかった。

何よりも難しかったのは、あらすじ。
小説の要点だけをまとめることがこんなに難しいとは思わなかった。映画の宣伝のように、見たい!と思うような表現をすれば良かったと後悔しているし、何より時間をかけたかった場所だった。

タイトル画像は、締め切りの20分前。実はトイレの中で作った。デザイナーをしていた経験がフルに活かされイメージ通りのフォントはすぐに見つかったし、文字のバランスなどもいい感じにできて結構気に入っていたりする。

その後は、応募要項を確認しながらドキドキそわそわしながら第1章、第2章、最終章の順に投稿して、まだ書き終えていない記事たちのリンクを貼り投稿ボタンを押したら、時計は23時59分ぴったりだった。

応募を終えて

応募完了後の私はとにかくナチュラルハイだった。投稿完了後に一番身近で応援してくれていた人に電話をしたのだが、どんな状況で書いていたのか、何が楽しかったのか、今何が不安なのか、後悔や改善点をひたすら喋り続けていつもに増してマシンガントークだった。

そして、親友にURLを送った。彼女はすぐさま読んで連絡をくれた。そこに感想と共に添えられていた言葉を見て「あちゃぁ~」と言って私は大笑いした。

執筆中に予想していたことが予想通り起きてしまって、どうすることも出来ないミスだったか
ら大笑いしてしまった。

今回、登場人物の中に「和田」と「野田」という男性キャラクターが登場するのだが、執筆しながら何度も「ここは和田ちゃう野田や」と言いながら何度も入力ミスを直していたので、下手したら誤字してるだろうなと思っていたのだけど案の定、誤字まみれだった。

しかも、大事なシーンで登場人物がテレコになっていて「ここで出てきたらアカンやん!」とか「さっき帰ってないことなっとるがな」と思わず声に出してツッコむしかなかった。

それ以外にも「やりやすい」という言葉が「やりやすお」になっていたり、いきなりヤスオが出てきたみたいになっていて、その時もあまりの誤字に吹き出してしまった。

その後も別の親友が丁寧にスクショ付きの誤字や脱字の連絡をくれたのだが、誤字脱字の多さに出版の際に誤字脱字などをチェックをしている校閲の方々のお仕事の素晴らしさや有り難さを感じずにはいられず、世に出版されている無数の本が作家だけでなくそれ以外の方たちにも支えられ丁寧に作られているのだろうなと思った。

応募作品は、その後誤字脱字を直そうが23時59分までに投稿されたもので審査されるらしく、テレコになっていたり、ヤスオが出てきたり、水を差すが魔が差すになっていたり、アイロンはかかっておらずあたった表現のまま審査されてしまう。

そのことを後悔していないか?と、もし誰かに聞かれたら胸を張って言う。後悔してるよ!めっちゃ悔しいよ!って。

でも、今できることは最大限出し切った!
誤字も脱字も、書ききれなかったことも今の私の実力。私は最大限やり切ったって。

小説を書くということがどれだけ大変なことなのかも、言葉一つを選ぶのに何十分も悩んでしまうことも、プロット作りやキャラクター設定の楽しさも、締め切りに追われるということがどういうことなのかも、誤字脱字をチェックしたりする校閲のお仕事をしている方の素晴らしさも、作品を読んで続きが早く読みたいと言ってもらった時の気持ちも…。

今回創作大賞に応募するって決めなかったら、小説を書いてみようって決めなかったら、絶対に味わうことの出来なかった経験や気持ちがこの日々にはあった。

創作大賞に応募した「それでもと何度でも」の第一章を書き終えて、私は今初めの頃よりも「もっともっと書きたい」と思っている。

夢も目標もなかった私の胸に小さな希望の火を灯した「創作大賞2024への応募」は、私に夢を思い出させてくれた。

いつの日か書店で自分の書いた本が並ぶその景色を私は見てみたい。欲を言っていいなら、生み出した作品が映像化され、人の人生に影響をあたえるようなそんな作家になりたい。

創作大賞は、「夢」そのものだった。

結果はまだまだわからないから、これからも当分夢見心地な気持ちを味わいながら「それでもと何度でも」の続きを書いていられる。

創作大賞が与えてくれた夢中という夢の中をこれからも私は歩いていくんだ。

理海月


<創作大賞2024 恋愛小説部門 応募作品>

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