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新年、かわらぬ ふゆの朝を

目を覚ましてすぐに、布団からはみ出ている頬の皮膚だけで察知した。室内の冷えた気温を。夜通しつけているストーブの低いノイズに耳をすまし、それが壊れているわけではないことを、毛布にくるまったまま確認する。

長年の感覚で、カーテンを閉めたままでも雪の気配が分かることがある。昨日の予報では雪。目覚ましはそのぶん早くセットした。(たいてい鳴る前に目覚めてしまうのだけれど) でも この気配、それほど積もっていないのではないかと見当をつける。雪かきに想定していた時間分を得た私は、もうしばらく毛布と一緒にいることを選んだ。吉か凶か。お決まりの冬の賭け事に、身を委ねる朝。

まだ眠りの中にいる娘たちを起こさぬよう、そっと朝食を摂り、大量の新聞紙を捲る。たくさんある新年の挨拶の中で目に止まったのは、黄色い花咲く野原の絵に「どんな時でも心の畑に希望の種を蒔こう~中略~満開の笑顔が咲き  たくさんの幸せの実が生りますように」という焼肉屋さんの小さな広告。おぼろ月のように控えめだけれど つい目がいってしまう感覚。

静けさが包む中で、出勤準備をする。独立している次女が年末に帰省していた。同じ市内で、たった二十分ほどの距離でも、仕事と学生の二足のわらじを履いているとなかなか戻ってくるのは難しいのだろう。久しぶりの帰省だった。それなのに仕事があることが申し訳なくて、せめてゆっくり出来るようにと、冷蔵庫の中を確認する。晦日の食卓を母娘三人で囲むためにたくさん作って残ったものや、おせちもある。大丈夫だろう。成人しても、相変わらず娘のお腹の心配をしてしまうのは母親のサガ。

家を出ると鼻の奥が凍りつくような、厳しい寒波が辺りを包んでいる。見なければいいのに気温をチェックしてしまう。
氷点下二桁の文字を確認し、やはりね、そうだよね、と半ば満足しつつも身震いしながら歩いていると、極寒しかも正月早々にジョギングする人とすれ違い、ひれ伏したい気持ちになる。
ああ、それは心に希望の種を蒔く作業なのでしょうか。このシバレがゆるむ頃にはぷっくりと膨らんだ蕾となり、いずれ笑顔の花が、そして幸せの実が……と雪の中で思い巡らせる。

そう、降っているわけでもないのに、強風にあおられて、しなる枝から舞う粉雪が冷たい。この先の季節を想い、思考回路が明後日の方向へ進んでしまうのはそのせいだろうと勝手に位置づける。
雪景色の早朝。見上げれば、まだ夜とも朝とも呼べないような白む空が広がり、静寂と安息とが共存しつつ厳かな空気を漂わせている。これから、陰影の隙間に朝陽はふりそそぐ。
私の蒔くべき希望の種はなんだろう。そういえば、かぼちゃの種の載ったフィナンシェを頂いて まだ食べていなかった、と唐突に現実的なことを思いだし可笑しくなる。風景と思考とが、舞う雪のようにふわふわと風に交差する朝。ジョギングする人が無彩色の風景に溶け込んでいく姿が、一瞬 幻想のように思えて、後ろ姿をこっそりと写真に納めた。


❄️

時間は繋がり
かわらぬ朝を迎える
それでも区切りがあることで
人は何かを感じたり考えたりもする
そこには心の存在が欠かせず
巡る思考のたもとで
ひとは繋がる


笑門福来
今年もよろしくお願い致します 紫 りえ♪




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