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『縁』〜近況など〜

見据える雲の向こう
ゆるりと風にのり
運ばれてくる縁

かき消えたり
立ち込めたり

空は語らずに
ただ移り変わる

それぞれの場所
それぞれの方向
それぞれの時機

繋がる願いと交わる言の葉
消えゆく想いと重なる憂い

誰かを想ったり
誰かに想われたり

織り成し紡いでゆく日々の中で
仄かに仄かに感じてくれたなら
たとえ側に居ないときでも

見据える雲の向こう


北の空は、お盆過ぎたら秋の風、とよく言われる。
帰宅後、西日の陽射しで上がった室温の、籠もった空気を逃がしたくて、すぐに家中の窓を開ける。
そのままシャワーへ行きリビングへ戻ってくると、じんわり涼やかな風が、開け放したベランダ窓から入り込んできている。心地よい。

帰り道に偶然知人にあった。もう何年も会ってない間柄なのに、今月二度目という偶然に驚き、笑い合う。
最近新しく出会った方に、縁を感じます、と言われたことが、ふと交差していく。
知人と短期間に顔を合わせたことも、これから何かの縁として繋がれていくのかもしれない。

風に揺られて動くカーテンをぼんやり眺めながら、そんなことを思った。

空は語らずに ただ移り変わる


相変わらず、夜な夜な創作活動をしている。
特にメロ先の作詞をしているときが、現在、楽しいの最上級。
この感覚、とても新鮮。私のなかでエッセイや詩は、なんとなく書いてしまうものであって創作という感覚が乏しい。この文章もだけれど、中学生の頃から書いている日記やメモの延長線上にあるもの。大抵は事実やぽっかりと浮かんだ言葉を書き並べていく作業で、だからゆるめでぼんやりしている。

作詞は誰でも書けるけれど、上っ面だけ文字を揃えたものを書きたいのではなくて。学んだぶんの深さだけきちんと掘り下げたい。コトバとテーマとプロットとセオリーとメロディーと、等々を重ねていく。するとズブズブと埋もれて、足をとられて、そのままハマって、周りをもっと深く広く掘り起こしてみたくなる。ゆるめの言葉がキリっとなるくらいに。
そうすると俄然楽しくなってきてアンテナが立ってしまうのか、言葉や歌に関する楽しそうなことを見つけてしまい、またあれこれと手を出し始めている。
そろそろ分身の術をマスターしなければ、と本気で考えてしまうくらい。

年々、いや日々、好奇心が膨らんでいく自分が、いま少々手に負えない。


それぞれの場所 それぞれの方向 それぞれの時機で


最近Twitterに顔を出しているのは、詩を書く人や音楽を作る人との縁があったことと、活動の場所が変化したことによる生存確認のため(笑) 
仕事も介護も超がつくほど多忙のままだけれど、きちんと切り離して愉しんでいるし、創作中のほうがSNSから離れてしまう。でも見かけないからと心配してくださる方がやはりいるので、ある程度は発信も必要かなと。

そのため、Twitterでは、つぶやきというより、詩の種を置いている。
noteでは、ほぼエッセイの方と繋がっているので、
ムラサキ突然どうした?とお思いだったでしょうが…。


こんな感じでタグの中の「」内の言葉はその日のテーマで、共通のタイトルで書いている。
アカウントを分けていないので、はたから見ると多分イタイ。それでも反応してくださる方たちがいて感謝が溢れる日々を送っている。

種、というとおり、ここから作品へと昇華させることもあり、提出規定によっては後に削除することもある。その点Twitterは、noteやNOVELDAYSのようにいつまでも読まれるものではなくて、流れていく媒体なので逆に都合がいい気もしている。
目に止まるか止まらないかの刹那で流れゆく言葉たち。
見つけてくれたなら、ひとときでも、それは縁と呼びたい。

織り成し紡ぐ日々の中で。

仄かに仄かに 


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