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神無月、ある日ある街で。

親の所用で休みをいただいた。もろもろの手続きのために街から街へと移動する一日。

早朝に郊外へ向かって運転をしていると、隣町に入ったころから尋常ではない濃霧が辺りを包んでいた。視界不良で緊張感が高まる。ハンドルを握っている手に気付くと余計な力が入っていて、その度に必要以上に握りしめてしまっている手の緊張を解く。何度か同じことを繰り返して、ふと客観的になり可笑しくなる。時間に余裕のない自分と重なり、思わず「リラックス」とつぶやいていた。

徐々に霧が晴れてくる。地上から水蒸気が立ち上っているのが目に見えるようになってきて、自然の美しさに見惚れる。この感覚、いつ以来だろう。
ひとつめの目的地へと着く頃には快晴の空。


視界が開けると両脇に長閑のどかな大地。大好きな秋の風景がそこには広がっていた。

ああ。私、今年の秋を見忘れている。
雪虫が飛び、すでにタイヤ交換の予約も入れていて、冬の肩先がすぐ手に届きそうなところまで来ているのに。
北の大好きな季節はあまりにも短くて、うかうかしていると味わうこともなく過ぎてしまうというのに。


ひとつめの用事を終え、次の目的地までまたハンドルを握り、いくつかの街を抜ける。
約時速60キロで流れてゆく車窓の紅葉は、愛でる間もなく通りすぎてゆく。
途中で白鳥の群れに出会う。わあ、と思わず声が漏れるほど感動するけれど、よそ見はできない。
もったいない。どこかで停車しようか、と一瞬頭をかすめるけれど、郊外の細い一本道。バックミラーには何台もの後続車が続く。アクセルは緩められずに、あっという間に景色は流れてゆく。ゆっくり眺める時間を、時に車は与えてくれない。
向かうべき場所と到着すべき時間がある。停まっている暇もない。そう思っている自分。残念だけれど心の余裕もない。

昼食も食べずに所用を済ませ、気付くと夕方。
帰り道、同じ思いでハンドルを握る。帰宅後もすべきことがあるから心がいている。予定よりも遅くはなった。けれども。

左手には公園のような見事な紅葉の続く道が続いていた。
右手にスーパーを認め、すこしだけ、そう思って駐車場へと入れた。馴染みのない街へと降り立つ。
あとで買い物しますね、と小さくつぶやいて、スーパーとは反対方向へ足を向ける。少し歩こう。自分のために。


屋根に積もる黄葉が美しくて写真を撮る。
近くに行きたくて、土の上に積もった落ち葉へ足を乗せる。濃霧のあとだからか、踏みしめてもカサカサと音はせず、しっとりと柔らかく沈む感触。忘れていた久しぶりの感覚に足底が反応し、また一歩踏み出す。

静けさの中、遠くで、カーン、コトリン、という音が繰り返し響いてくる。何の音だろう、と音の主を探す。誰もいないと思っていた公園内には、風景に溶け込むような山吹色の上着を着た初老の男性がひとり。よく見るとボールを打っていた。
近づいて行くと「6」と書かれたポールを見つける。
道路沿いにずいぶんと長い公園だと思っていたそこは、パークゴルフ場のようだった。


今年は紅葉が平年のように綺麗にならない、とある気象予報士のコラムで読んだ。北海道には北海道ならではの紅葉の美しさがあるという。樹木の種類と気温。その気温が今年は崩れたと。
記録的な猛暑だった北海道。夏の間に多くの葉が枯れてしまっていた。枯れる前の葉も、水分がとんでしまっていて普段の北海道らしい紅葉にはならないとのことだった。今まで当たり前に見てきた景色すら、涼し気な気温に守られた貴重なものだったことを知る。

確かに紅葉する前に褪せてしまっている葉が多いとは感じていた。
だから普段通勤で歩いていても、秋らしい風景を見忘れているような気がしたのだろう。街路樹の紅葉感が今年は薄い。
夏に水分を吸いとられてお疲れの風情で、だらりんと下を向いている葉が目立つ。

でもこの公園のように木々が集まっていると、充分美しかった。
近くに寄るとやはり褪せている葉が目立つけれど。一枚ではなくみんなが重なることで秋を表現していた。


その中で一枚だけ落ちずに幹に引っ付いている黄葉。
往生際が悪いと見るか、粘り強いと見るか。
なぜか惹かれてしばらく眺めていた。気付くと薄闇が忍び寄っていて私はきびすを返す。まだ遠くでボールを打つ音が響いていた。


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