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なんかチームはまとまって来ている? 雨降りゲームに5連勝のファイターズは。(実際は三連勝です)

2021 7/9  zozoマリンスタジアム M×F  1対6

七勝目、楽天の早川投手に追いつきました。うちのヒロミ。

前回登板の時、別のSNSで「うちのヒロミの調子は良くないようだ」とを呟いたらー「うちのヒロミ」とはなんだ「うちのと言えるのは、家族ということになる。お前は、選手の家族なのか?」「こんなアバズレに応援されて迷惑だ」とかいう因縁をつけられた。こわ〜〜^^;

すぐにブロックしちゃったんで正確な文章でないけど、58にもなってアバズレ呼ばわりされるとは…っていうか「うちの〜」は家族にしか使えないという理屈は、何なのか?

勝手な身内意識がうざいーというのは、わかる。

例えば、わたしもファイターズのことを「うちのチーム」とは呼ばない。が「わたしたちのファイターズ」という言い方は、いつもしている。もちろん意図して、わたし自身のファイターズへのスタンスを表している。

「わたしのファイターズ」ではない。「わたしたちのファイターズ」

「俺たちの武田久」

2007年か、ファイターズファンになったばかりの頃に、見かけたフレーズだった。「俺たちの武田久」かっこいいなあ。使ってみたいなあ。と思ったけれど「俺たちの」では、わたしらはどうなるの? とまたすぐに思った。

札幌ドームに集まるファイターズファンの50%以上は、女性である。「俺」は一応、男性の呼称であるから「俺たち」とは、男の人たちのことになる。一応女のわたしは仲間に入っていないから、別の呼び方をしなければならない。

かといって「私の武田久」では、個人性が強すぎる。おそらく男性のファンも「俺の武田久」は使っても「私の武田久」とは、あんまり使わないのではないだろうか。もちろん例外があるとしても。「俺」には、社会的な男性一般の意味合いが強くでるけど、「私」だと自分だけ、あるいは、より公的な立場の言葉になるので(いわゆるオタクしゃべりに「わたしはー」とか「それがしはー」とかって出るのは、逆に彼の男性性を消したいからだろうしね。あくまで想像ですけどね。)

「わたしの谷口くん」「わたしの亮たん」では、もう炎上間違いなしである。「いつからお前のものになった!?このババアがっ」ですよねーですよねー。言ってないから、言ってませんから。

「わたしのファイターズ」だとしたら、やっぱり個人性が強くて、どこまでも「私の見ている範囲のファイターズ」に傾くと思う。

「わたしたちのファイターズ」は「俺たちの〜」のようには、一方に傾かない。性別認識を区別しない、言うたらジェンダーバイアスをかけない、年齢も立場も関係がない。それぞれのファイターズファンと自分個人を繋ぐ言葉はあるかと考えると、とりあえずは、有効なのかなと思って使っている。

「うちのヒロミ」は、岡大海と伊藤大海が活躍した試合の時。前は岡大海がファイターズのヒロミだったが、今は千葉ロッテのヒロミになった。そして今のファイターズのヒロミは、伊藤大海になったのだーという話の流れで、出てきた言葉だ。

「うちの〜」と言いたがるのは、もちろん身内意識、家族意識があるからだ。そして確かに、わたしは、ファイターズの身内でもないし、家族でもない。別に因縁をつけてきた人は、間違ったことを言ってるわけでもない。

しかし、だからと言って、地元のフランチャイズのチーム、あるいは特定のチームのファンが「うちのチームはさー」「うちの大谷翔平がさー」と語り合うのをむやみに非難したり否定することもない。時と場合には寄るだろうけど。

栗山監督だって「北海道のファンは家族です」って言ってるし? フランチャイズ意識や地元のチームといった話になると、またややこしくなるので、機会があればまた考えてみることにしますが。

とにかく。うちのヒロミは、凄いピッチャー伊藤大海。自身六連勝。石川亮とのバッテリーも六連勝?

幕張の夜空からは、またしても雨が落ちてきていた。

雨の仙台で1分け2勝、雨の旭川で2連勝、雨の千葉で1勝。都合、雨降り試合に5連勝。雨は嫌だけど。勝つのは良い。

高濱裕仁、淺間大基、本格化してきている。中田翔、大田泰示の居場所は、あるのか、サバイバルのファイターズ。もう何年もずっと待っていたはず。翔くんもたいしちゃんもまさかこのまま終わるわけもない。

本当の戦いは、これからだ。



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