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田中将大、マー君との忘れられない思い出。2007年札幌ドーム最終戦。その時、超満員スタンドの、立見席で見たファイターズは。

2021 5/8 札幌ドーム F×E 4対1

トップの写真は、賢介の引退試合の日に撮ったもの。あれ以来、ドームに行ってないような気がする…

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今を去ること14年前、2007年9月26日。わたしは、札幌ドームにいた。

なんだかんだといつも偉そうな上から目線でものを言ってるわたしだが、正しく北海道日本ハムファイターズのファンになったのは、2007年からで、年季の入った東京時代からの日ハムファン、2003年北海道移籍直後からのファンのみなさんから見れば、ただの三下にすぎない、

2006年までは、ろくにテレビ中継もラジオも聞いていない。リーグ優勝も新聞で知ったような記憶がある。その時の自分の気持ちは良く覚えている。

「日ハムが優勝した…」

えー?? 日ハムが優勝したの!? 

甚だ失礼な話だが、だからプロ野球は、中学生の頃からずっと見てましたし、パリーグファンでしたし、大沢監督でパリーグ制覇、エース高橋直樹の時代も応援してましたが、90年代以降インターバルがあって…とにかく「日ハムはあんまり強くなくて、人気もない」という古いイメージから更新されてなかったんですね。

あれだけ新庄劇場がフィーバーしてたのに?

いやーそのーえーと。新庄さんもね。阪神タイガース時代の印象が強すぎて。言うたら怒られる(野球は上手いかもしんないけど、ただのアホや)と思ってたんですよね。ごめん!!ごめん!! 

正味、はっきりと真面目に北海道日本ハムファイターズの試合を見たのは、2006年日本シリーズからであった。一挙にプロ野球、パリーグファン魂が甦る。なんてもったいないことをしていたんだ、わたしは!?

そして、翌年、新庄剛志はもういないファイターズを、毎日、見つめ続けることになる。ダルビッシュ有、エースの道を駆け上がる時を。

翻って2006年、北海道には、もう一つのフィーバーがあった。言わずと知れた駒大苫小牧高校、夏の甲子園二連覇。三連覇を目指し、決勝の舞台に立つ。相手は、早稲田実業高校、一世風靡のハンカチ王子、斎藤佑樹。

娘が高校生で、ガチンコのリアルタイムで、そりゃもう真剣に、連日応援。この時ばかりは、ファイターズファンもファイターズどころでなかっただろう。試合の時間は、札幌市内はシーンとしていた。みんなテレビ見てるから。真夏の熱い太陽が、北海道でも照りつけていた。

駒苫のエース、田中将大。最後のバッターとしてゆうちゃんと対決した。空振り三振。その表情に、涙はなかった。

甲子園アイドルゆうちゃんと、後付けであだ名がついた「マー君」田中将大。やっぱりみんな大好きになった。マー君を。絶対に、きっとファイターズがドラフトのくじで引いてくれると思ったよね。

ドラフト会議は、見ていました。そしてファイターズは外れ「十二球団OK」宣言していた彼は、当時、最弱球団(失礼)だった楽天イーグルスへ正々堂々と入団する。

2007年、(11月生まれなので)未だ18歳のマー君は、リンクに揚げた年度別成績にあるとおり、ルーキー初年度から先発ローテーションを回り、11勝6敗。5つの勝ち越し貯金。何よりも投球回数がすごい。186回を投げている。常々エース級の先発投手が目標として挙げるのが200回。でも近年では、滅多に到達するピッチャーはいない。奪三振196個。高卒ピッチャーの歴代4位だって。ぽかーん。当然のぶっちぎり新人王。

ダルビッシュ有のルーキー初年度は、5勝5敗。投球回数は94。これも大したもんですが、ゆえにマー君の凄さが、わかる。

そんなとんでもない新人投手の札幌ドームでの最終戦は、この1年で真エースとなったダルビッシュとの対戦。前年の日本一からファイターズ人気は爆発的に盛り上がり、チケット争奪戦、休日のゲームでは球場に人が溢れ、通路まで埋まる事態になっていた。

1年間、試合を見続け、ドームにも何度も出かけるようになっていたわたしと娘たちは、どうしてもこの試合を見たくて見たくて、必死でチケットを求め最後の最後に出た立見席をゲットした。

ただでもグランドが遠い札幌ドーム、スタンド最上席のさらに上のコンコースに即席の立ち見席からは、広いはずのグランドは小さいほどに見え、選手は、正真正銘、点にしか見えない。だけどもうすでにドームの外野席で鍛えたわたしたちには、見えなくてもわかる。誰が誰なのか。何してるのか。

試合は、ダルとマー君の緊迫の投げ合い。ちょっとしたミスからイーグルスが1点先行する。ファイターズはマー君を打てないまま。九回裏を迎える。

1アウトから賢介が、塁に出る。バッターは稲葉さん。賢介は盗塁。本当に一か八かの場面で決める田中賢介の勝負根性に、球場のボルテージは一気に高まる。

イナバ! イナバ! イナバ! イナバ!

コールは、大きく大きく、立ち見席まで吹き上がってくる。

小さく見えるようだった緑色のグラウンドが、浮き上がって来る。試合後に白井コーチがインタビューに答えていたように。球場の熱気が渦巻き「一つになって」吸い込まれそうになる。

稲葉さんは打った。ライトの頭を越えるツーベース! 賢介が帰ってくる。同点だ! 代走は、足のスペシャリスト紺田コンタ。バッターは、代打、代打の切り札、坪井智哉。

球場の熱狂は上がりすぎてて何だかもう覚えていない。家で録画してあった試合のビデオテープ(DVDの前なんだよねービデオテープなんですよね)は、あんまり繰り返して見たもんだから伸びきって、もうざらざらでよく見えないくらい。記憶はリアルなのかテレビなのか完全に混ざっているけれど。

とにかく坪井さんは、打った。映像では、打席の中でにやりと笑ってるような表情を見せながら。打球は、ファーストの横を抜け、代走コンタの疾走。待ち構えるキャッチャーをかわし、ホームベースに転げるように滑り込んだ。

野球マンガならば、見開きで集中線がビシャーと引かれて、観客が😱となって、後にワーーーー!!と歓声のオノマトペ(書き文字)が出るところだ。

判定は、セーフ。熱狂のサヨナラゲーム。

ホームベースの前で、点のように小さいマー君が、必死に「アウトだ!アウトだ!」と球審に抗議している。今ならリクエストだけど。当時は、ない。野村監督に引かれるように、しぶしぶとベンチに下がっていく…。

後から映像を見たらタイミングはアウト。でも、コンタコンタの指先が、本当に先にベースをかすめている。代走スペシャリストの技術と信念が結晶したシーンだった。

今こうして思い出して書いてても、胸がドキドキする。涙が出そうに、役者が揃った皆が自分の仕事を全うする、勝った方にとっては、完璧な脚本のドラマが。負けた方にとっては、きっととてつもない悔しさだけのゲームが。

その後、田中将大の歩む道を大きく決定づけたのは、間違いない。以来マー君は、札幌ドームで一度も負けず、2012年栗山監督就任以降のファイターズは11連敗…(ちなみにメジャー行く前のマー君、日本ハム対戦成績。34試合23勝6敗。一番登板数が多い。2番目がホークスの24試合。いわゆるカモってやつですよ。やっぱしね…)

日本プロ野球に生まれた大投手は、この試合から6年後。2013年、楽天イーグルス初のリーグ優勝。二四勝無敗。無敗…絶対負けない大エースとなる。

そんなマー君が、メジャーリーグNYヤンキースとの再契約を選ばず、今年、2021年日本プロ野球に帰ってきた。復帰初登板は、ファイターズと対戦。なぜかファイターズが勝ってしまう。そして、第二回目の対戦もなぜかマー君の調子は上がらない。立ち上がり不安定のところを捉えたファイターズ打線は、またしてもマー君を攻略してしまった。

いや嬉しいよ。勝つのは、嬉しいけど。

なんか…なんか…なんか違わないですか?

これが、わたしたちの知ってる、マー君なの?

いや確かに、マウンドにいる、あれはマー君だ。勝負の絢に、怒りの炎を見せる。ベンチに座り、自らの不甲斐なさに、不動明王の背中から蜃気楼のように覇気がゆらゆらと立ち登る。こ、こええよ…田中パイセン怖いっす…。何も変わってはいない。勝負根性の塊、田中将大は。

未だ、真実の凌ぎは削られていない。マー君の真価は、チームの勝負がかかった土壇場に絶対に現れるから。

ファイターズもやるんだ! 2007年の思い出なんがぶっ飛ばす。

きっとやってくる、大スペクタクルのゲームが。

待ち遠しい。





















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