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萩尾マンガがアメリカのコミック殿堂入り。どんな賞なのかもわからないけれど。胸がいっぱいになった日。

 なんか凄い。我がことのようにというより、10歳から14歳だった自分におめでとうと言ってあげたい気持ち。変な言い方ですが「人生が報われた」感じがするの。わかる人にはきっとわかる

 わたしは、10歳の時に教室で「ポーの一族って面白いんだよ!大好きなんだ」と話したら、周りの友達から「気持ち悪い」「全然面白くない」とやいやいと言われてしまい。それっきり萩尾マンガについて話せなくなってしまった。それまで「ロリイの青春」上原きみ子先生とか他のマンガで盛り上がって楽しく絵を描いたりして遊んでたのに「気持ち悪い」の一言で、一挙に孤独になってしまった。自分は痺れきってたからね。10歳の子供だしねえ。

 10歳で生理もきちゃって、体型も変わっていじめられるし、母親とはマンガ禁止闘争で断絶するし暗黒時代、はや!
どんどん孤独になってしまい、エドガーとオスカーが、心の拠り所だった。

 大好きなマンガについて、友達と話せる機会はなかった。中学になっても話すのは男子ばかりで、少年マンガやSFや野球マンガの話をしていた。本当に好きな少女マンガのことはほとんど話し相手がいなかった。一人で妄想を膨らますだけ。

 自分と世界を繋げるものが、マンガだった。萩尾マンガには特に強い影響を受けた。自分との境界線がない感じの。まさに萩尾マンガ的な夢と現実を行き来する曖昧な境界線を。子供の自分は生きていた。その「リアリティ」を取り戻すことは2度とないだろう。
 
 萩尾さんは、その世界と夢との境界線をずっと行き来しながらマンガを描き続けている。世界の振動を感じ取り、脳から指先へ出力させる。でも魔法じゃない。知性と様々に学ぶ謙虚な姿勢、夢を描きながら現実を直感する。

このたった今、世界が震撼する時代に。萩尾マンガの再評価は、なぜ起こるのか。理由はきっとある。

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