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『すみれ荘ファミリア』凪良ゆう     61歳風邪と腰痛で寝込んだ日に読んだ。「愛」の小説。

『すみれ荘ファミリア』凪良ゆう 
職場の同僚に貸してもらって読みました。自分は全然無知だったが、娘たちは良く知っていた。BL小説出身で有名なんですね。

『すみれ荘…』はBLでない一般小説ですが、BL要素満載。
というか、BLは、少女向けのメディア、文化の流れの中から生まれた、いわば究極の少女マンガ&少女小説であり、すなわち、その表現の主題はどこまでも「愛」である。

 あたしは以前、「愛という名の魔法」というタイトルでやおい(BL)論を書こうとしたことがある。12回連載予定が、1回で中断されちゃったけど。少女マンガにかけられたーそれ以前に「少女」にかけられた呪文が「愛」である。愛されることが幸せの第一義。愛されなければ生きている資格はない。愛がなければおまえは、生きられない。
と、この世界に生まれた女の子は、明に暗に受信させられ続ける(発信はどこから?)

 ところで「愛」って何?

「愛」って何? 愛されるって何? 愛ってどこにあるの?

 1960年代から高度に先鋭化した少女マンガは、自ら主題を掘り下げる、探究する、抽象化する、初めから多様な、初めから複雑な「愛の形」を描こうとし、挑戦し続け、やがて「愛」(を含めた性欲)のみを抽出するシステムとしての「やおい」「BL」を生み出す。

そのBL小説から出てきた凪良ゆうは、一般小説においても「愛」を主題としながら、しかし『すみれ荘…』は「恋愛小説」ではなかった。

「愛」に纏わり、「愛」によって動かされ、「愛」によって生きている人々のとんでもない行動と精神状態を、わかりやすい言葉と文体、巧みなミステリー構成で表現する。躊躇なく突飛な展開を選んでいるように見えるのは、やっぱりBL及び少女マンガの経験を感じざるを得ない。

だって常識なんてどうだっていいんだもん。

愛は、全てを超える。

愛こそが、全て、なのだから。

これだって「愛」なんじゃないの? と。

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