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1976年のプロ野球ニュース

『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』長谷川昌一著/TOKYONEWSBOOKS 2017刊(写真は表紙から)

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「プロ野球ニュース」って1976年に始まったのかあ…。じゃあ始まった時から見てたってことなのか。45年も前の記憶はあまりにも曖昧で、そして自分が本当に年を取ったんだなあ…とつくづく思い知らされて、なんともいえない気持ちになる。

我が家にカラーテレビがやってきたのは、小学校5年生の時で、1973年ということになる。家ではあまり野球中継は見ていなかった。父はアンチ巨人で強いていえば親戚に選手がいた阪神ファンという程度で、野球に詳しいわけでもなかった。北海道の片田舎で、野球場に行く機会も全くなかった。

そんな家庭で育ったにも関わらず、わたしは、野球好きの少女になる。最初は高校野球。小学5年か6年か。時は空前の高校野球ブームだった。作新学院江川卓、銚子商業篠塚和典 東海大相模原辰徳、鹿児島実業定岡正二…その後も野球界に名を残す甲子園ヒーローに夢中になり、中学生になると少年マンガ誌を読み始め、野球マンガの面白さに目覚め。必然の流れとして、視線はプロ野球にも向かっていった。

親の影響なのか単に天邪鬼な性格なのか大メジャー読売巨人軍には興味はなかった。なにがどうしてか14歳になった頃、わたしは、近鉄バファローズのファンとなり、特に西本幸雄監督が大好きで、ファンレターも出したし、選手では、美男子島本講平さんにドキドキしていた。

とここまで書いてくれば、どうもおかしな気がしてくる。だから当時のテレビは巨人戦しかやっていない。セ・リーグで好きだったのは、中日ドラゴンズだった。星野仙一、高木守道がいたはず。鈴木孝政が好きだったが、相手チームも当然、テレビに映ってるんだから、それはわかる。

わたしの記憶では、パ・リーグのチームや選手がテレビに映るのは、オールスターと日本シリーズだけだった。それなのになぜ北海道の小娘が近鉄バファローズを好きになり、島本選手が美男子であることを知っているのか? 

一つは、プロ野球雑誌の「週刊ベースボール」を愛読していたからとは思える。少年マンガ誌もサンデー、マガジン、チャンピオン、キング、ジャンプってほとんど網羅してたので、情報はあっただろう。特に水島新司先生のマンガの影響は強かった。にしても、小学6年生から中学生になっていく短い時間のなかで、一挙にパ・リーグに詳しくなる根拠としては薄い。

1976年。フジテレビ。全国ネットの「プロ野球ニュース」が始まる。フジテレビは、北海道ではUHBが地方局だが、当時はどうだったのだろう。UHBが映るようになったあ!って喜んだ記憶はあるけど、いつだったかは覚えてないが、とにかく1976年だったならば。わたしに、パ・リーグの野球情報を映像で伝えてくれていたのは「プロ野球ニュース」でしかなかったはずだ。

もちろん「プロ野球ニュース」を見ていた記憶は、はっきりある。中学時代は、深夜ラジオを夜中まで聞いてるのが日常だったので、夜11時から始まる番組を毎日見てても全然不思議でないし、多分毎晩見ていた。

西本監督が阪急を辞めて近鉄の監督になったのは1975年で、時系列的にも合致する。幾度も日本シリーズに出場しながら勝てない悲運の闘将と呼ばれていた。「わたしが応援してあげなくては」って思い込み乙女モードが炸裂してたのだろう(中2病の一つである「叔父様好き」。「じじ萌え」っていい方は、残念ながらその当時はなかったけど。萌えの一派としては昔からあったのである。まあ萌えって言い方ももう死語だよね…)

巨人戦の中継や普通のスポーツニュースだったら「では、他球場の結果です」しか伝えてもらえない、画面の片隅に四角く囲われた数字だけが頼りだったパ・リーグの試合が、ちゃんと「12球団平等に」時間を割り振りされ映される。画期的な野球報道番組。

そうだった。そうだったんだよねえ。

好きになるとどんどん知りたくなり、どんどん覚える、ましてや中学生である。毎日毎晩毎朝(再放送がありました)見てれば、そりゃ詳しくもなるよ。

長谷川昌一著『オレたちのプロ野球ニュース』は、当時の自分、野球の記憶を蘇らせるとともに、70年代から80年代、日本社会が大衆消費社会へ大きく変わる時代、フジテレビがぶいぶい言わせていたバブリーの時代、2000年を跨いで、長い長い低迷を過ごす時代を、わたしたちに歩きなおさせる。

昔のことなんか知らない若い人には、限りなく事実に近づける努力による綿密な取材、的確な描写とわかりやすい文章で、信頼できる昔のことを学ぶ機会になる。徹底的な男社会だったテレビ業界とプロ野球業界が、「女はグラウンドに入るな」「グランドの土を踏むな」とすらされた場所へやがて「女子アナ」と呼ばれる女性たちが参加していく変化の様も。

絶対的なキラーコンテンツとしての巨人戦、プロ野球人気の絶頂と凋落も。何もかも、テレビとともにあった。

1976年「プロ野球ニュース」は、仕事を終えたサラリーマンのための癒しの番組だったとは…中学生の少女には知るよしもなかった。でも、そう言われてみれば45年前プロ野球は、おっさんの娯楽の筆頭だったよね。だからやがて男性司会者の隣には、若い女の子が座るようになるのかって。今更納得&憤慨のうなづきタイムでしたが。

でも、あたしの中の「プロ野球ニュース」は、やっぱりピッタリと整えられた黒髪の、お鼻が立派な司会者、佐々木信也さんが、マルチ画面の前に一人で座っているまま、なのである。


(文中ほぼ敬称略)












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