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愚直に、真っ直ぐにー時代は待ったなしに変化をしているーファイターズの新星今川優馬と話題の本『時給はいつも最低賃金〜』(和田靜香著)え?何にも関係ない?

2021 9/12 札幌ドーム F×E 3対0

「おーーーーー!!!」

階下から大きな声が聞こえる。日曜日、わたしは、仕事でオンライン会議の準備の最中だった。何事かとドタバタと階段を降りて。

テレビ画面には、レフトスタンド上段へ消える、白いボールが映っていた。

「今川くんが打ったの!?」

「すげーホームランだったぞ!」

試合を見ていた夫が笑っている。

 今川優馬、2020年ドラフト6位。札幌生まれの札幌育ち、高校は北海道の名門、東海大四高。大学は、東海大札幌キャンパス。卒業時にドラフトにかからず、社会人JFE東日本に進み、初めて道外に暮らす。地力を蓄え、まさにカムバックサーモン。北の大地へ帰ってきた24歳。

振り返れば、ファイターズには、数々の「マンガのような物語」がある。

『球場をステージに!新庄剛志物語』昭和の野球漫画を引き継ぎながら、90年代バブルを過ごした華々しい舞台を演出キラキラ派手な野球のヒーロー。

『絶対エース、ダルビッシュ有物語』およそ日本のプロ野球史上最高峰に君臨する美貌のエース(2009年ごろ現在)。未だ18歳なのにタバコ吸ったりパチンコしたり、寮長さんに謝ってもらって改心したりとマイナスの始まりから見事に「絶対エース」へと変貌を遂げる、超成長の物語。

『翔べ!夢の彼方へ 大谷翔平物語』「野球王に俺はなる!」と本人は言ってはいないが、ファイターズで日本一の夢を成し遂げ、野球を司る秘宝ワンピースを求めて大海を渡る(勝手な妄想です)申すまでもない投打二つの道を歩み続ける野球世界の大ヒーロー。

そのほかにも台湾から一人でやってきた『君の笑顔が欲しい、陽岱鋼物語』とか、2012年MVPになりながらどうしても自我の殻を破れない『悩める文学青年吉川光夫物語』とか…話が逸れすぎていくからやめますが。

 2003年日本ハムファイターズが、東京ドームから札幌ドームに本拠地を移して18年。ついにというかやっとというかとうとうというか札幌ドームでプロ野球を見て育った子供が、成長し入団して一軍選手になって、ホームランを打って、ヒーローになる日、がやってきた。

>同じ6人きょうだいで、往年の人気アニメ「巨人の星」の左門豊作をほうふつさせる“孝行長男”。将来は父に車、母に平屋の一戸建てを買ってあげるのも夢の一つという。実現はしていないが「もっとお金を稼いで皆に裕福な思いをさせてあげたい。もっともっといいところを見せたい」と貪欲だ。初本塁打の記念球は大事そうに右のポケットにしまった。「母さんが『いつ打つの?』ってずっと言っていたのですぐ渡します。絶対に泣きます。涙もろいんですよ、今川家は」<上記リンク記事、スポーツ報知から抜粋

 『巨人の星』(週刊少年マガジン掲載)は、1971 年に連載終了している。アニメも同時期に放送開始され続編や番外編が色々あるのでいつとも言えないが、全体的には70年代の作品である。つまり昭和の終わりまで。

果たして、この始まったばかりの『今川優馬物語』は、半世紀も前の昭和からやってきた蘇りヒーローなのだろうか?

わたしは、違うと思う。今川優馬は、父ちゃんに大リーグ養成ギブスなどはめられていない。中学時代は軟式野球で、そこから東海大四高の門を叩き、紆余曲折をへながら、とにかくヘコタレない根性の持ち主だ。だからといって『巨人の星』的倒れるまでうさぎ飛びとか重いコンダラを引きずったり、非科学的で非論理的な精神論を追求しているわけでなく、「野球は物理だ」と言い切る知性と理性を持つ。

>177センチ、87キロと今でも体は決して大きくないが、「野球は物理。小さな体でも工夫すれば本塁打を打てる」。名選手の動画を見るのが日課で、大リーグの三冠王カブレラ(タイガース)のアッパー気味のフルスイングが理想だ。バットの動きを計測する最新機器を自腹で購入し、スイングの軌道を日々研究する。「下手くそは、頭を使わないと生き残れない世界なので」(上記リンク記事 朝日新聞デジタル より抜粋)

彼は、きっと子供の頃からずっと、自分の意思で野球をやってきた。家族や周りの人に支えられながら、素直に指導者の指摘を受け取りながら、やっぱり自分の頭で考え、目標を定め、そして愚直に努力する「夢を叶える」ために。夢見ることを諦めない、それは一つの能力である。

今川優馬に、「どうせ俺なんか」と自らを下げる卑屈さは、微塵も見えない。もちろん『巨人の星』に漂う、拭い去れない「暗さ」もない。真っ白な歯が、眩しいほどに、その笑顔は、明るく輝いている。

 今川くんのホームランを見る前日、わたしは、一冊の本を読んでいた。

『時給は、いつも最低賃金。これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』和田靜香著 取材協力小川淳也(左右社)

著者の和田靜香さんは、音楽ライターとしてデビューし、すもうの女性人気に話題となった『スー女のみかた』(しかし本書は「すもう女子」の話であって「すもう女子」の話ではない。大相撲にまつわる数々の矛盾、外国人力士への差別問題などに切りこむ本格ルポルタージュである)新型コロナ禍に増え続ける困窮者への支援を伝える『コロナ禍の東京を賭ける〜』などを手がけている。

わたしから見れば、立派なプロのライターさんだが、和田さんの現実は厳しく。物書きだけでは食べていけず、最低賃金でバイトの日々だったと書かれてある。それもコロナの影響で働けなくなり「50代後半、単身、お金もない」イライラと不安は、絶頂に達する。

わたしは、これからどうなっちゃうんだろう。日本は、これからどうなっちゃうんだろう。どうしたらいいのだろう。何もわからない。そんな、この世界の片隅に生きる一人の地点から、本書は立ち上がる。

「国会議員に聞いてみた」

相手は、立憲民主党。香川一区。小川淳也衆議院議員。こちらも昨年から映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で話題の人だ。

政治的な意識は、ぼんやりとした身体感覚でしか持っていなかった和田さんは、ほとんど無知から出発する。小川議員は、その無知を笑わない。しっかりと受け止め、はぐらかすこともなく、繰り出される質問に、自分の蓄えた知識と論理、言葉で答える。真っ向から受け止められる信頼感と対等なやりとりに、和田さんの中の向上心が、むくむくと立ち上がり、猛烈な勉強が始まる。

こんなことして何になるんだ? 

意味ないじゃん。

どうせ政治なんか変わらないんだ。

誰がやっても同じだ。

真面目に考える人を冷笑し、「理想の社会」や健やかな社会関係を望むー夢みることを「お花畑」と揶揄する。そういう時代を、わたしたちは、もう長いこと、あまりにも長いこと生きてきてしまった。

正直に、わたし自身が、そういう人間だったと思う。

和田さんは、わたしより三歳若い。やや同世代である。小川議員は、一回り下の世代だ。がちんこでぶつかり合う二人は、やがて対等の議論ができるところまで「成長」していく。

 小川淳也の映画を見た時の、第一の感想はnoteにも書いたように「バカだなあ」だった。しかし、それは悪い意味ではなく、その愚直さこそが、彼を信頼にたる人間であり国会議員にしていると思えた。小川議員が、愚直に全うに一切の手抜きもせずに、和田さんからの質問に答え続けるからこそ、不安で縮こまり、自己否定に犯され、卑屈にならざるをえなかった、和田さんを変えていく。いや、違う。

対話と思索、考え続けることによって、そもそもある本来性が、再発見され、和田さんの中から、もう一度拡大拡張された和田さんが出現していくと言ったほうが多分、正しい。

 もともと50年以上の人生経験と人間関係、社会との関わりによって、他者と世界を「感じる」素地ができているのだ。勉強は、さそがし大変だったと思うが、本を読んでいる側から見たら、よくぞこの短期間で、ここまで吸収し解析し、理解して言葉にできたなと驚嘆する。

努力とは、闇雲にするものでも、できるものでもない。努力の向こうに、何かがあるー実現しえる何かがあるーから、苦しくてもしんどくてもやろうとするーやってしまうものなのではないだろうか。

不安で不幸せなのは、不甲斐ないダメな自分のせいだー そう思い込まされてきた場所から。「幸福になりたい」と願うことを自らに肯定するところまで、そのために「政治」は必要なんだと、見定めるところまで、和田さんはやってくる。

そして本書が、たどり着き、また飛び立とうとする場所として見出される事柄にも、きっと読む者は驚嘆するだろう。どうぞみなさん、お読みになってみてください!

ファイターズでたまたま第一号ホームランを打った今川優馬と和田靜香&小川淳也の「政治の本」には、なんら関わりがないと思われるに違いない。でもわたしは、そうは思わない。この世界に関わりのない事柄など、実は何もないからだ。

『巨人の星』の時代は、すでに真面目や愚直に努力したり頑張ることは「ダサい」ことになっていた。「貧乏」も遠くなったからこそ、『巨人の星』はギャグとして笑われるネタであり都市伝説となった。それから半世紀、わたしたちの生きる日本は「貧乏に戻った」のではなく、新たな貧困と将来的な持続を漠然と信じることはできない社会へと転じてしまっている。

わたしたちは、繋がっている。どんな世界にいても、どんな場所にいても、どんな風に生きていても。無関係でも何も知らなくても。赤の他人でもよその国でもジャイアンツファンとファイターズファンでも。アフガニスタンの女性でも日本に生きる女性でも。世界の終わりを見るかもしれない、この時を生きている。

愚直に、真っ直ぐに、立ち向かう。自分の頭で考えて、知性と科学的論考を捨てず、安直な迷信に頼らず、他者と助け合うことを諦めずに、どんなに格好悪いかもしれなくても。
そういう時代に、変わっている。待ったなしに。斜に構える余裕も、冷笑している暇も、もうわたしたちには、残されていないのだ。

(文中ところどころ敬称略)








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