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昼間に風呂に入る

 小学生の頃、母が突然、ガーデニングに目覚めた。私が育った場所は、緑が多い、といえば聞こえは良いが、舗装もされていない畦道に囲まれていて、キツネやタヌキもいたし、東京とは比にならないくらい大きなカエルやクモやムカデ、それにアオダイショウという大きなヘビもいた。自分が子どもだったからかもしれないが、どいつもこいつもみな巨大だった。
 上京してから「うわ、虫!」と恐れる人の横で、ひょいっと虫をつかんだりしてみせると、「虫とか、平気なタイプなんですね」と驚かれると同時に、「きもちわりぃ」という軽蔑の視線も感じる。平気もなにも、ふーっと吹いたら飛んでいくようなカメムシやコガネムシなんて、実家で対峙してきたバカでかい生き物に比べたらかわいいものだ。

 夏の初めの頃だろうか。通学路の畦道にアオダイショウが横たわっていた。家は目前。そこを通らねば帰ることはできない。
「おい、お前、この道を通るのか……」
 この土地の主のようなアオダイショウは、じっとりとした目で私を睨んでくる。
「ここで退いたら負けだ」
 言葉も常識も通じないヘビとの間に緊迫した空気が流れる。相手がどう出てくるか予想もつかない。近づくのは怖いから、足で地面をどんどん叩く。ランドセルを振り回して近くの草に当てる。あとは時間との戦いだ。
 しばらくすると根負けしたアオダイショウがするすると道をあける。私はジャンプ&ダッシュですり抜ける。なんとも大袈裟で馬鹿馬鹿しい話だが、何度も生死をかけた戦いをしてきた(つもりだ)。これはたぶん「田舎の子どもあるある」のはず。

 そんな豊かすぎる場所で母はいきなり庭にバラを植え始めた。「庭」という概念は人間が勝手につけた名前と線引きにすぎず、生き物は当然がんがん入ってくる。しかも庭には藤の花があり、いつも巨大なクマバチが群らがっていた。フワフワで丸っこい見た目に反してブオオオンという邪悪な羽音を出す危険なやつらだ。
「刺されたら死ぬ……」
 藤の木が玄関の前にあるものだから、毎日の登下校は命がけだ。そんな藤の花の横に母はバラのアーチを作りはじめたのだ。
「いきなりどうしたの」
 と母に聞いても、
「なんとなく」
 としか答えない。しかしこうと決めたら揺らがない頑固さで、家族が「クマバチが危ない」と言っても庭づくりをやめない。なんならバラの匂いに誘われて、新たな巨大生物を招いてしまうかもしれない。

 リビングには園芸本が積み上げられ、結局、数ヶ月で見事なバラのアーチが完成した。我が家の外見はおとぎの国の入り口のようになった。その後、完全に園芸にハマった母はブルーベリーの木やザクロの木なども植えて、芝生だけだった庭は、あっという間に美しく、しかも美味しい植物で溢れた。そして美味しい植物は当然虫や動物たちも大好きなわけで、我が家は生き物天国のような家になった。虫対策なのかアヒルが二羽、大型犬が三頭、チャボに烏骨鶏もいる大所帯。小学生の自由研究など、当時の我が家に二、三時間いれば立派な研究結果があげられるだろう。残念ながらいまは主人を失い、廃墟になってしまったが。

 母はいつも庭をアップデートしていたから、どんな完成系をイメージしていたのかはわからない。日当たりも良く、植物たちはスクスク育った。父はその庭でゴルフの練習をするために大きなネットを設置した。あきらかに美観が損なわれるが母は何も言わなかった。でもこの庭で覚えていることがある。とても、とても幸せな記憶だ。

 休日の午後、普段、子どもと接しない父がゴルフのパターの練習を始めた。気まぐれだろうが、急に兄と私に「おい、やってみるか」と声をかけた。私は父があまり得意ではなかったからもごもごしていたが、兄は嬉しそうに父に駆け寄っていた。
「下手くそだな」
「クラブの持ち方はこう」
 兄の横で私も教わる。大人向けの大きなパターでゴルフボールを打つ。カコーンという軽い音がする。私は楽しくなって夢中でボールを打った。汗だくで、泥んこで、たくさん笑った。しばらくすると母が作ってくれた素麺をみんなで食べた。食べ終わると、父と兄はまたパターゲームをはじめた。すると母が私に、
「ちょっとお風呂に入ってきたら」
 と言う。私は、
「え、いまから?」
 と驚いた。
 私にとって風呂は夜に入るものだった。もちろん朝シャワー派の人も大勢いるだろうが、休日の午後14時ごろで「まだ日の光があるうちからお風呂に入っていいんだろうか……」と躊躇った。なぜかそれがすごく「大人の行動」のように思えて、ドキドキしたのを覚えている。
 お風呂の小さな窓から日の光が差し込んでくる。青いバスクリンの粉をさらさら入れて、一人で足を伸ばして風呂に入る。毎日入っているお風呂のはずなのに、なんだか特別な場所に見える。庭のほうからは父と兄の声が聞こえる。母は台所で洗い物をしているのだろう。私はひとりの時間を満喫しながら、生意気にも「幸せだなあ」と感じた。

 そのおかげで、大人になった私は、休日の午後に風呂に入るのが好きだ。「風呂に入る=そのあとは寝るべし」と教わってきたから、風呂に入ってしまえば、その日の活動はおしまいなわけで、だから昼間から風呂に入るということは、「もう今日は何もしない」、「コンビニにも行かない」、「絶対、外に出ない」という決意の表れなのである。背徳感に近い快感がある。
 なかでも天気がいい日は最高だ。入浴剤の「日本の名湯」シリーズから、湯の色を選びさらさらとお湯に溶かす。昔から入浴剤は効能よりも色とか温泉地で選んでしまう。風呂の水がキラキラしている。足を伸ばしてぶくぶくと潜る。
 いまでも虫や動植物が好きなのは子どものころの経験が影響しているのは間違いない。いまの家はベランダが広いから、今年は家庭菜園をやるのが目標だ。なんなら虫もヘビも大歓迎だが、あいにく都会のマンションにアオダイショウは迷い込んでこない。風呂に入りながら、ウィキペディアでアオダイショウのページを眺める。ベランダに何を植えようか考える。長湯をして、ぼーっとして、またぶくぶくと潜る。これがたぶん「幸せな時間」なのだろうな。


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