怒っている人は、困っている人

私の父は、とても怖かったんですよ。


外に出されたり、テレビ投げたり(笑)。具体的に鮮明には覚えてないんだけど、何かしらにいつも怒ってたし、父親の前ではビクビクしてた。

父が二階の部屋から階段で降りてくる足音で、居間にいた家族が一斉に自室に散ったりしてたから、まぁ、家族のみんなが恐れてたんですよ。

「いつも、すぐ怒ってやだな」って思ってたんだけど、あるきっかけで、「ああ、この人は心配してるんだ。その心配の表現が”怒る”ということなんだな。」って思ったんですよね。

それは、私が第1子を出産して10カ月ぐらいたった時。育休中で、ちょくちょく里帰りしていた私は、実家にいました。

遠縁の栃木に住むおじさんが亡くなったんです。関係性の強かったおばあちゃんが「お葬式に出たい」といったんだけど、父は確定申告に追われ、母は、高校生の子ども二人抱え、おばあちゃんを連れて行ってあげられる手段がなかったんですよね。(おばあちゃんは、足腰が悪くなっていたので、長時間の電車移動とか難しかった)

んで、私が「(乗っていたのが軽自動車だったので)レンタカー借りて、私が行くよ!」って、言ったんです。

そしたら、父が大反対!「何言ってるんだ!子連れで葬式なんて!」ってめっちゃ怒ったわけですよ。

私はなぜ怒られるのか全く分からなくて、おばあちゃんにとって大事な人だったし、お葬式に行って顔見ないと、絶対後悔するなって思ったから、連れて行ってあげたかった。だから、父の対応に対して、「なんて冷たいやつ!私の気持ちも、おばあちゃんの気持ちもすべて無視かよ!」と私も腹が立った。

「小さい子ども(10ヶ月の娘)が葬式にでちゃいけないのなら、私車で待ってるし!」って言って、レンタカーの手配を始めた。

父はずっとぶつぶつ言っている。母親には「連れて行ってあげたいんだよね」って話して、了解を得た。

「天気も悪くなるらしいし!こんな時に行くなんて!」って、ずっと怒ってる父。その時は、本当に何を怒っているのかわからなかったんだけど、栃木までの道中、「これって、もしかして、心配の表現?」って気が付いた。

1時間ごとに休憩をとり、その都度、家に電話連絡。(母親が父親とそういう約束で許可をしてくれるように交渉をしてくれた)。

「なにこれ、めんどくせーーー!!!」って思ったけど、心配だからか。いや、でもそれを義務付ける方が、ストレスで事故りそうだわ!って思いながら栃木まで行き、お葬式は控室で子どもと静かに過ごし、栃木の親戚の人に「泊っていきなよ」って言われたけど、早く帰らないと父の怒りがもっとすごいことになりそうだったので、「雪が降る前に帰ります!」って言って、早々に帰ってきた。

帰ってきてからは、父から何も言われなかった。「心配の表現がひん曲がってるよ。子どもかよ・・・」って思ったけど、それ以降、父が何か言っても、”怒っている”という印象があまりなくなり、”何か心配で困ってるんだね、この人”っていう見方になった。

この発見について、特に話さないままに父は他界してしまったけど、それ以降、”怒りを表現している人”を見ると、”何かうまくいかなくて、心配で、っ困ってるんだな”って思えるようになった。

例えば、電車で一人でぶつぶつと「てめーらなんか!」「この世の中は!」って酔っぱらいながら怒っている人を見かけたことあるけど、「この人は、切実に生活の中で困ったり、何か絶望したりして、それをどうしていいかわからなくているのかも・・・」と今は思う。

怒りの奥にある、感情に気が付ける人になりたいと思う。

けど、今日もわが子に怒ってしまった。私も父の子だわ。(笑)。心の修業が必要。反省。

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