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憧れの銀山温泉

こんばんは。昨日は心のモヤモヤをどうしても形にしたくて、初投稿…のつもりでしたが、公開されてなかったみたい。(笑)気を取り直して…

今日は日曜日。急遽用事が出来て次男へ会いに行くことになった。会うのは気まずいなと思いつつ出かける。

22歳の彼に本当のことを話すべきか。一緒にご飯を食べながらずっと悩んでいた。

考えてみれば、うちは24年間家族の誰も病気やケガも無く、息子たちは学校にも毎日元気で登校し、スポーツも勉強もそこそこ出来て、愛想もよくて、よく同じマンションの人に「いつも感じの良い挨拶をしてくれるんだけど、どうやって育ててるの?」と言われるくらいだった。夫婦喧嘩も子供たちがいた時は、いつものじゃれ合いにしか見えなかった程度。貧乏でも裕福でもない、贅沢はさせてないけど、盆と正月は家族で旅行に行き、誕生日は家族で過ごすことが習慣化していた。家族の思い出を一つでも増やすために尽力はしたけど、いたって全てが普通だったと思う。

そんな家庭に育ったんだから、お父さんが家を出て行ったなんて話したら、それはそれはかなりショックを受けるだろう。

でも、

当たり前と思っていたことは、実は当たり前ではなかったってことに気付くチャンスかなとも思った。これまで一つの波風立たず暮らしてきたことは、恵まれすぎてるってこと。ランチのお冷も飲み干してそろそろ帰ろうとしている次男に、私は重い口を開いた。

「父ちゃんね、今、別に部屋を借りて暮らしてる」

「は?マジで…」

いつも強気の次男の顔からスーッと笑顔が消えていくのを感じた。それを見て、話したことを後悔した。別に喧嘩をしてこういう事態に陥ったわけではないので心配しなくて大丈夫だから。そう話しても、複雑な表情は残したまま、一生懸命笑って話そうとするのを見るのが辛かった。

私は、家が貧乏で高度経済成長期に少しの蓄えも出来なかった両親を反面教師として生きてきた。中2の時に両親が離婚して、これで安心して寝れると思ったくらい毎晩事件が起きていた。その後夜逃げ同然の引越し。友達にサヨナラも言えず、転校を余儀なくされ、転校先ではいじめにあい、部活も出来なかった。世の中には勉強が出来ても、奨学金が借りれても、大学に行けない人はまだいる。自分の未来を考えることが許されない環境にいる人がいることを知って欲しいと思いながら生きてきた。そんな思いを絶対に子供にはさせたくないと思って家庭を守ってきたからだ。

でもその後の話しで、旅行に行こうと思っていると聞いて安心した。しかも兄の住むという東京を経由して山形へ行きたいと言う。中学校の美術の教科書で雪が降りしきる銀山温泉の写真を見て、絶対にここに行くと決めていたらしい。バイト代や奨学金の話をして、貯金はしてないことがわかった。

「22歳の1万円と60歳の1万円と比べたら、圧倒的に22歳の1万円の方が価値がある。だからそんな未来のために貯金はせず、今やりたいことにお金を使うって決めてる」

ほー。よかった。そんな風に考えることが出来るってことは、自分のことだけを考えてるってことだ。私とは違う。

次男にさよならしての帰り道。広くてがらんとした空間を埋めるために、花屋へ寄った。小さなグリーンを飾っただけなのに癒されている。思えば家中の断捨離をし、生活感のない家は旦那にとっては居心地のいいものではなかったんだろうなと思う。こうやってもう少し癒しを増やしていれば…?

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