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はだかの愛に戻ればいい

本日は朝6時からHUCマインドフルネス部の年内最後の読書会。

今読んでいるのはこの本。

セルフ・コンパッションについては以前もHUCマインドフルネス部で「マインドフル・セルフ・コンパッションワークブック」(星和書店)を読んで学んだことがある。

今日は、困難な状況にある友人にかける言葉や態度と、同じ状況で自分にかける言葉や態度との違いについて書き出してみるワークをした。3年程前だろうか、「マインドフル・セルフ・コンパッションワークブック」で同じワークをした時は自分を責めるような言葉がたくさん出てきた。

今回はそれが出てこなかった。その代わりに出てきたのは不安や寂しさ、悲しみ。「相手を傷つけてしまったかもしれない」「嫌われたかもしれない」「もう大切に思ってもらえないかもしれない」その言葉たちを見て、この感情は、新たに生まれたものではなく、前からあったもののように感じた。自分に優しさを向けていくプロセスで、自分を責める怒りや恥の部分が玉ねぎのようにぺろりとめくれ、その奥に隠れていた、不安や悲しみの感情が現れたような。

不安さんこんにちは、ようこそ。さらにぺろりとめくると、その奥にあるのはなんだろう。誰かを思いやる気持ち、自分自身を守ろうとする気持ち。そこには愛の気配があった。

ブレイクアウトルームで出た「どうして自分や家族に厳しくなってしまうんだろう。」という問い。自分や近しい人に対しては、「守ろう」という意識が強く働きやすいからこそ、厳しくなるのかもしれない。人の身体は無意識的に自分を守ろうとする。だから命の危険を感じると「闘争か逃走、あるいはフリーズ」状態になってストレス反応が起こる。ニュースを見ると自然と危機を伝える情報に意識が向く。これは人が本来備わった自分自身を守るための性質だ。

私が意図せずとも私を守ろうとしてくれる、私はそこに大きな愛を感じる。

禅では、意識していなくても体が自分自身の世話をすることは「本性」、つまり人間の生来の善性や知恵が果たす機能なのだと説明されています。手は火に近づくと、意識が熱を感じる前に引っ込みます。耳が鋭い音を認識する前に目は瞬きします。モノが落ちると脳が認識する前に手が伸びてそれを受け止めます。

心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門 「今、ここ」に意識を集中する練習|ジャン・チョーズン・ベイズ|p53

「どうして自分や家族に厳しくなってしまうんだろう。」それは愛ゆえ。「どうして怒りや不安が現れるんだろう。」それも愛ゆえ。感情の玉ねぎをむいてむいてむききると、そこに愛がある。そう信じられると、ネガティブな感情にさえあたたかい愛の感覚を味わえる。怒りや不安を感じた時に、相手に何を伝えたら良いのかも。伝えるならば、正しさではなく、ありのままの感情と、その奥にある愛を。(いやはや、難しいんだけどね。)

はだかの愛に戻ればいい。

人間だから忘れちゃうこともあるけど、いつでも戻ってこれる。戻ってくるためにここにも書いておこう。

年内最後のマインドフルネス部読書会は、いつになく皆が多弁で、この活動についての愛を共有してくれたメンバーもいた。ここも、私の戻って来れる場所だ。

みんな、ありがとう。
みんなが幸せに新たな一年を迎えることを、心から祈っています。

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