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愛想笑いという苦痛・・・いつもどんな時でも、つい愛想笑いをしてしまう。本当は楽しいなんて、ひとつも思っていないのに。


いつもどんな時でも、つい愛想笑いをしてしまう。
本当は楽しいなんて、ひとつも思っていないのに。


 仕事の場ならば、報酬という対価があるから、ある程度は耐えられるけど、それ以外の場で「いつもニコニコしている人」の役割になっているとしたら・・・誰かのために、無意識のうちに、そういう犠牲を払っているとしたら苦痛以外の何物でもない。

 一時ならば良いけど、長い付き合いの中でも、そういう役割を担っているならば「ただの都合の良い人だ」

 誰もやりたくな仕事をいつも引き受けてしまう傾向にも似ている。
愛想笑いだって、その人がその役割を心から好んでいるとは限らない。

 本当は大して面白くない話にも、いつも一生懸命に相槌を打って、
誰もやりたくないような仕事に対しても「いえいえ、私こういう仕事好きなんですよ」と笑顔で応える。
しまいに周りからは「頑張っているね」どころか
「もう少し貢献して欲しい」と追加の仕事や言葉を振られてしまう時がある。(いや私としては、充分にやっているつもりだし・・・これ以上頑張れと❔と心の中で思っても)

 周りを見れば、誰もそんな役割なんて担っていない。
突然、真顔になった瞬間に周りに驚かれる。
(なんで私にだけ、そんな刺すような目が向けられるのか。愛想笑いすらしない人だっているのに。と思いつつも。)


 いつも本音は隠された語尾にあるけど、それを隠しながら。
必死に自分の感情を封じ込めながら。
本心はきっと神様と自分だけが知る。




◆もし、周りに「いつもニコニコの人」がいるとしたら・・・


「〇〇さんは、いつも話しかけやすい。大変な時にも笑顔をありがとう。」
「いつも大変な仕事をしてくれて、助かってるよ。」

そんな言葉も、いつの間にか
「そういう人。やって当たり前。」に変換されていないだろうか。


だから、今こそ周りを少し見渡してみよう。

時には、無表情で笑わない時があっても許して欲しい。

愛想笑いだって、立派な仕事なんだから。



私の苦手な仕事だって、きっといつも誰かが担ってくれている
だから、今こそ周りを少し見渡してみよう。。



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